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原山建郎の連載コラム


 ことしは、遠藤周作さんの没後27年、生誕(1923年3月27日)100年という節目の年にあたり、長崎市の「遠藤周作文学館」、町田市の「町田市民文学館ことばらんど」で、さまざまなイベントが企画されている。  私が講師をつとめている文教大学(越谷・東京あだち・湘南キャンパス)のオープン・ユニバーシティ(社会人向け教養講座)でも、遠藤周作生誕100年記念講座、『遠藤周作の「病い」と「神さま」――心あたたかな医療の源流を探る』(仮題)を開講する予定である。

 遠藤さんはよく電話をかけてきた。まだ、スマホ(携帯電話)がなかった時代だったから、もちろんダイヤル式の黒電話(固定電話)である。主婦の友社に入社した当時(1960年代)は、「代表電話番号」にかかった電話を交換台で内線に振り分けていたが、ようやく部署ごとのダイヤルインになっていた。  遠藤さんは、編集部によく電話をかけてきた。ときには、休日にわが家の電話が鳴ることもあった。  その当時、雑誌『わたしの健康』で、『遠藤周作の「治った人、治した人」』という連載対談企画を担当していた私は、作家の小説担当を「(小説)番記者」と呼ぶのに対して、自らを「からだ番記者」と呼んだ。  かつて遠藤周作ファンクラブ機関紙『周作クラブ』に寄稿した『からだ番記者レポート』(※一部加筆)を再掲しながら、遠藤さんからの電話で伝えられた「心あたたかな医療」への祈りについて、改めて考えてみたい。

詳細は☞ 152.pdf

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