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原山建郎の連載コラム


 私はかつて、毎月1回(7年3カ月間)、1ページの連載コラム『ブックセラピー(book therapy)』を『出版ニュース』誌に書いていた。シリーズ名の「ブックセラピー」は、清田義昭編集長から与えられた課題、あるいは宿題のようなタイトルだった。たとえば、「リーダー(読み手・reader)」が主語なら「この本を読むことで〈癒される〉」のかどうか―—「ブック(書き手・writer)」が主語なら「どのように読んでもらえたらうれしいか、書き手の気持ちが伝わることで〈癒される〉」のかどうか―—。


 このときはもちろん、『出版ニュース』誌の主たる読者(出版社、取次、書店関係者など)を意識しながら、毎回、1冊か2冊の「ブック(書籍)」を文中に引用しつつ、『ブックセラピー』の原稿(約1500字)を書いた。また、「文中引用」の基本的ルールである「書誌情報(著者・編者名、訳者名、出版元、出版年)」と「引用ページ」を明示することで、自分自身の著書も含む「ブック≒著者」を最大限にレスペクトした。本コラムでも遵守する「基本ルール」には、利便性が二つある。一つは、図書館の蔵書検索に必要なデータ(タイトル、著者等、出版者)がすべてあること。もう一つは、コラムの文中で引用されたトピック(話題)のページが、すぐに開けることである。



 今回のコラムは、かつて『出版ニュース』誌に寄稿していた連載コラム「ブックセラピー」というシリーズ名を手がかりに、たとえば、「リーダー(読み手/reader)」が主語なら「この本を読むことで〈癒される〉」のかどうか―—「ブック(書き手/writer)」が主語なら「どのように読んでもらえたらうれしいか、書き手の気持ちが伝わることで〈癒される〉」のかどうか―—について考えてみました。「本というのは遅効性のメディアだといいます」と喝破したのは、『だれが「本」を殺すのかPART-2延長戦』(プレジデント社、2002年)の著者、佐野眞一さんです。コラムに引用しなかった一文を紹介します。


 本というものに答えはないんです。答えがあると思ったら、それは錯覚です。(中略)本は自分の内面と格闘する、ボクシングでいえばシャドウボクシング、野球でいえば素振りのためのツールです。そうした練習の道具として、猛烈に効果のあるメディアだと思います。つまりこれは、人と人との関係を結ぶ基本的な練習道具なのです。(同書56~57ページ)

今回のコラムに、「歴史的身体(これまでの人生で味わった喜びや、悲しみの集積)〉」「上書き(overwrite)」というキーワードを配置して、次のように書きました。


 「ブック(書籍/雑誌)」を読む前の〈からだ/歴史的身体〉に上書き(overwrite)された――「ブック」を読んだあとの〈からだ/歴史的身体〉と述べたが、「上書き(overwrite)」という言葉から、「ブック」を「読む(read)」行為は読み手の〈からだ/歴史的身体〉のなかで「ブック」を書写する(トランスクライブ/transcribe)、つまり自分が初めて出会う新しい文章を「書く(write)行為であることがわかる。


お時間のあるときにお読みください。

☆原山建郎☆

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