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尾﨑雄氏のコラムです


唐傘日記③ 地域医療の「革命」に共感する

 訪問診療医の小堀鷗一郎氏(85)は雑誌『1冊の本』(朝日新聞出版)に「人それぞれの老いと死」を連載中だ。4月号「黒岩卓夫氏との対話」(前編)は若い医療人に読んで欲しい。  食道がん一筋の外科医だった小堀氏は60代半ばにして訪問診療医に転向した。その手本こそ黒岩卓夫氏(86)だった。同氏は日中戦争の末期、満州でソ連軍に襲われた難民。妹と弟を飢えでなくした。東大医学部に入ると60年安保闘争に身を投じる。革命の夢破れ、新潟県の大和町に「都落ち」した。そこで地域包括ケアの原型をつくる。在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワークの創立者でもある。  これを読んだ一人の医師がメールを寄せてきた。


<自決した祖父と「地域」に殉じた父>  恥ずかしながら、黒岩先生や小堀先生といった在宅医療の先駆者である方々を知らず、目の前のことに追われていることを恥ずかしく思いました。黒岩先生が言われていた「革命」の部分に共感いたしました。私は43歳なので安保闘争のような革命活動は歴史でしか知りませんが、地域医療を変革していくことで住民、さらには国民にとってより良い(人間としてあたりまえの)人生を生ききることができるようにしていくことも一つの革命なのだと気づかされました。

 私も医師として過疎地医療に従事し殉職した父の背中を見て育ち今があります。父も陸軍将校だった祖父と共に満州へ渡り、祖父は中佐の立場でありながら多くの部下が満州で命を落とす中で帰国した終戦直後に自決しました。祖父はあの時代に生きていなければ、医師を目指して勉学に励んでいた温和な人であったそうです。父は幼少期に一家の主が突然いなくなった家庭で、戦後を必死に生きて医師になった人でした。贅沢することなく、ただひたすらに地域医療に身を投じていた姿の背景にあったものを、今回の記事を拝読しながら考えなおしたところです。


<過疎地医療の醍醐味>  私は父の跡を引き継いで一人でやっていますが、この過疎地では限界集落もあり、いずれは集落が消滅する場所も出てくると思います。そこに暮らす人が望むのであれば、たとえ最後の一人になったとしても、故郷と共に生き、故郷と共に逝くことができるよう、集落の看取りができるような文化を築き上げていきたいと活動しています。なかなか難しいですし大変ではあるのですが、それを「革命」と考えるのであれば楽して得るものはありません。楽ではないですし、当然ながら苦しみもある。しかし、そこには喜びや楽しさがある。それが過疎地医療の醍醐味なんだと改めて考えさせられました(医療法人慈孝会 七山診療所・所長 阿部智介)。

 かつての医学生は 「恋に恋する」ように思想によって革命に恋した。戦争を知らずに育った医学生は思想ではなく志操に生きる。

 
 
 

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