私の一存で「もうここまで」と決めたけど…
- mamoru segawa
- 7 時間前
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連載「患者と医師の認識ギャップ考」の18回目です。前田真由美さん(NPO法人オハナ理事長)が、『私の一存で「もうここまで」と決めたけど…』のテーマで認識ギャップについて執筆しています(ご略歴などは執筆当時のものです。ご了承ください)。
癌の母を自宅で看取った娘の後悔
私の一存で「もうここまで」と決めたけど…
前田 真由美(NPO法人オハナ理事長)
2017/08/01
「ホームホスピス オハナの家」(写真1)を利用された家族の方から届いた手紙です。癌を患われた母親を自宅で看取った娘さんですが、本当に良かったのかと今も揺れる気持ちを抱えていらっしゃいます。一緒に耳を傾けていただけませんでしょうか。

…… 13年前、父を病院で亡くしたとき、人はどこでどのように死をむかえるべきかについて考えました。自宅で家族に見守られながら安らかにいくのが理想に違いないと思い、母にその時がきたら、母の一生が不幸だったとしても最期のその時で幸福だったと思えるような看取りをしようと心に決めていました。
2年前の7月、母が胆管癌を患い余命1カ月から1年との診断をうけ、私は五島に帰って母の介護を始めました。看取りまでの1年3カ月、訪問看護、訪問入浴などの介護サービスを受けながらどうにか頑張りました。
母の最期のとき、夜中の2時ごろでしたが、母の肉体から魂が離れていった瞬間に私は初めて、こんな風に人間は息を止めるのだと知りました。今まで目に見える世界だけしか信じていなかった私が、この世に目に見えない世界があることを確信した瞬間でもあります。
母には告知をしなかったので、母は最期まで自分が死ぬとは分からないまま逝ったのではないかと思います。母は辛いとか苦しいとか痛いとか泣き言は一切言わずに、その生き様、死に様を私に見せてくれました。
自宅のベッドで毎朝、鳥の声に目を覚まし、昼は友達と談笑し、夜には孫に背中をさすってもらいながら過ごした日々は、母にとってとてもよかったと思います。
しかし、介護した私は、毎日が1人で何かと戦いながら、孤独で不安な日々を過ごしました。主治医に何でも気軽に相談ができていたら、自分に介護の知識が豊かだったら、もう少し在宅医療が充実していたら、もう少し母を楽に逝かせてあげることができたのではないでしょうか。
母が高熱を出すたびに「もう一度、もう一度助けてください」と医師にお願いして延ばした命でした。でも、最後に高熱を出したときは病院に連れて行かず、私の一存で「もうここまでだ」と決めました。あの時の決断は、あれでよかったのか今でも悔やんでいます。自宅での最期を願えば、あれでよかったのでしょうが、いまだに何が正しい選択なのか分かりません。……
私は訪問看護師になり在宅介護のすばらしさを学び、最期まで在宅で過ごしたいと願う患者さんを応援してきました。無事に在宅で家族の看取りを終えると、訪問看護師は安堵と達成感を覚えます。しかし、家族の思いは深く、無事に在宅看取りを終えたあとでも揺れ動く心情を抱えていることを忘れてはならないと思いました。
介護の最中は看護師によりどころを求めますが、家族は外部者には取り繕うことが多々あるように思います。週に数回、1時間の訪問看護で何を見ていたのか? 何を語っていたのか? 主観的言動で家族を揺らしてはいなかったか? メッセンジャーナースになった今、在宅での家族の孤独感を在宅に関わる人達に伝えなければと思いました。

■著者紹介
前田 真由美(まえだ まゆみ)
NPO法人オハナ理事長。助産師、看護師。2011年3月、お寺の庫裏を借りた「ホームホスピス オハナの家」を開設。「暮らしの中で逝くこと」を目標に、古民家で5~6人の共暮らしを始める。そこでたくさんの方とご縁をいただき、豊かな幸せな時間を過ごす。しかし、2016年の熊本地震、巨大台風を経験し、突発的な自然災害を前に古民家の限界を知り、2017年2月で住まう機能を終了。この4月からは、集いの場として再スタートしている。
日経メディカル Online 2017年8月1日掲載
日経BPの了承を得て掲載しています。
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