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「メッセンジャーナース」の存在の大きさを、身をもって実感

  • 2 日前
  • 読了時間: 17分

 「秋田県のメッセンジャーナースの娘さんから、お手紙が届きました。その内容がとてもすばらしく、会長からぜひHPに掲載してほしいとの要望がありました」(仲野)。以下に紹介します。


令和8年8月3日  メッセンジャーナース認定協会

事務局 仲野 佳代子 様

村松 静子 先生


  突然のお手紙を失礼いたします。私は秋田県で助産師として勤務しております、小松香子と申します。

 実は私の母が、先生にご指導いただきメッセンジャーナースとして活動しております。  このたび、夫の父を看取る経験を通して、私自身が「メッセンジャーナース」の存在の大きさを、身をもって実感いたしました。

 その経験を、自分自身の気持ちを整理するために文章にまとめました。

 読み返しているうちに、この経験はぜひ先生にもお届けしたいと思うようになり、勝手ながらお送りさせていただきます。

  一人の家族として、また一人の看護職として経験した出来事です。

 書いているうちに、大変長い文章になってしまいました。

 拙い文章ではございますが、お時間のある際にお目通しいただけましたら幸いです。

  先生が長年育ててこられたメッセンジャーナースの理念が、一つの家族を支え、私自身の看護を改めて見つめ直すきっかけとなりました。


 心より感謝申し上げます。


 小松 香子


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 義父(夫の父)が、2026年7月1日に亡くなりました。享年64歳でした。


  義父は2025年の2月に、初めて胃がん(ステージIII)と診断されました。診断当初から、「義父は『弟も喉頭がんでステージIVだったけど、余命宣告を覆して元気に生きているから多分大丈夫でしょう』と、あまり深刻な様子ではなく、治療にもとても前向きな様子でした。同居ではなく、同じ市内で暮らしていた私たち家族は、時々義実家に行って様子を見る程度でしたが、会うたびにやせていく義父の姿に『(胃の全摘術後、通院で抗がん剤をしていると言っていたし、そりゃあやせちゃうのは仕方ないよな……)』と思っておりました。私の夫含め義実家の人々は全員医療とは程遠い職種の人々であったため、一応看護師(助産師)の私は『何かあったら私でよければ頼ってね』と常々夫に話してはいたものの、当の夫も、義父の現状をぼんやりとしかわかっていない様子で、時折『ポート作るって、何?』や、『抗がん剤の種類が変わったらしい』程度のことを話すのみでした。


  状況が変わったのは、それからちょうど1年後の2026年2月。通院で抗がん剤を続けていたはずの義父が、自宅でがん性疼痛と嘔気の症状が強く出現し、自力で動くことも困難な状況となったためにかかりつけの大学病院へ救急受診し、そのまま入院となりました。そこで初めて、家族を交えた病状説明が行われることになり、私も同席しました。医師からは、これまで試せる抗がん剤は色々試してきたが明らかな治療効果は見られず、何度も抗がん剤を変更してきたこと、がんはすでに全身へ転移してしまっていること、現在の疼痛や吐き気の症状についてコントロールができなければこれ以上の治療は難しいこと、今回の入院から緩和ケア科と並行して治療を進めていくこと、などが説明されました。想像以上の状況の悪さに愕然としている義母へ、医師は「今までは本当は何度もご本人様に『ご家族へも説明する機会を作りませんか』とご相談させていただいていたのですが、そのたび『自分で話せるので大丈夫です』と言われておりまして……」と言いました。その病状説明では医師からは特にはっきりとした宣告はありませんでしたが、それは医療職の私の視点では明らかに最後の日が近づいているといえる状況でした。


  義父の願いは、「家に帰りたい」。その理由は、家に残してきた愛犬チロル君が待っているからでした。チロル君ももう老犬で、病も抱えて病院に通いつつも、お義父さんといつも一緒にいる大事なパートナーでした。お義父さんの希望通りに家に帰れるように、私は訪問看護や介護保険の福祉用具の貸し出し、要介護申請など、使える制度を片っ端から調べて夫に伝え、介護用ベッドを義実家へ運び込み、家の中の段差をなくす工事を行い、訪問看護について主治医と相談するなど、義父に安心して退院してもらうための準備をしました。一方の義父は、今までずっと「緩和ケアなんてまだまだ自分がお世話になるところじゃない」と毛嫌いしていたものの、いざ導入してもらったらとても体が楽になったようで、「緩和ケアってすごい!」と受け入れたとたんに、みるみる回復していきました。一度は自力で動くこともできず食事もとれないほどに弱っていたにもかかわらず、数日の入院の間に、しっかり食事を食べ、階段の上り下りまでできるように回復し、見違えるように元気になって、念願の退院を果たしました。


  それからの数か月は、周りも病気のことを忘れてしまうくらいに、義父はおだやかに過ごしていました。ただ、義父は「やれる治療があるならやりたい」との意志が強く、自宅で療養しつつ、外来で抗がん剤を続けていました。正直私としては、「もうしんどい治療は続けなくても、いまの元気があるうちにやりたいことをやった方がいいのでは?」と思っていました。しかし、私の中には「血縁でもないただの嫁の意見など義父に伝えたところで無意味かもしれない……」という気持ちもあり、義父には直接伝えず、夫には「今は元気だけど、少しずつ周りの片付けとか、相続しないといけないものとか相談したほうがいいかもね……」と話しておりました。夫も普段から私の話を聞いて危機感は持ってくれていたので、義父にも相談はしてくれていましたが、当の義父本人が「いやいや、まだ先の話でしょう」と、話をそらしていってしまい、聞き入れてはくれませんでした。さらに体調が良くなって調子に乗った義父は「お金がもったいない」と、ついにレンタルしていた福祉用品を、電動ベッドまですべて返却してしまいました。私は「何のためにベッドを借りたと思っているんだろうか」「今は元気でも、いつ急に具合が悪くなってもおかしくないのに」と、呆れて何も言えませんでした。


  すると同年5月半ば、義父の愛犬のチロル君が急死しました。前日まで元気に過ごしていたのに、朝義父が目覚めたときには息をしていなかったとのことで、急遽家族で集まってチロル君のお葬式をすることになりました。チロル君の葬儀の場で、久しぶりに会った義父は、明らかに黄疸が出ていました。しかし、私以外の医療職ではない家族は誰も気になっていない様子でしたので、そこで私が大きな声で指摘することもできず、葬儀の帰りの車で夫にだけこっそりと「お義父さん、黄色かったね」と言いました。翌週、ちょうど抗がん剤の治療で受診予定だった義父は、医師へ突然「家族のだれにもまだ言っていなかったんだけど、おしっこの色がおかしいんです」と言い、そのまま入院となりました。


 検査の結果、あんなに頑張ってきた抗がん剤は結局今回も効果が見られず、それどころか肥大した腫瘍に胆管が圧迫されて黄疸が出ているとのことでした。義父の強い希望で、3日後に内視鏡で胆管を拡張する手術を試みましたが、すでに手を付けられない程に腫瘍は大きくなっており、結局医師は何もできずに手術は終了しました。


 5月末、「大学病院ではもうできることはありません。最後まで診てあげたかったけれど、病院の決まりで、終末期の患者さんは診られないので、転院していただくことになります」と医師が告げ、初めて義父は「あとどれくらいですか」と聞きました。そこで「もって2〜3か月と思われます」と、初めて余命の宣告がされました。


  私の実父が同市内の別の総合病院(B病院とします)で緩和ケア科の医師をしていることもあり、義家族も知っていたので、余命宣告を受けた同日、夫から「お父さんが、B病院に転院しようかなって言っているけど、どうかな」と相談されました。私としても義父の主治医が父になった方が安心でしたし、B病院は義実家からも車で10分程度の距離で、大賛成でさっそく実父へ相談し話を進めるつもりでした。しかし、このあと話は私の予想しなかった方向へ急展開します。


  実父へ転院の相談をしようとしていた翌日、「やっぱりまだ転院したくないって。おとうさん、治療を諦められないみたい。だから東京の国立がん研究センターにセカンドオピニオンを聞きにいって、ついでに大宮にいる知り合いの漢方の先生からがんに効く漢方をもらってきたいから、僕、一緒に来てくれって頼まれちゃったんだけど、行ってきてもいいかな?」と、夫が言いました。私は意味が分かりませんでした。思い返せば、今までだってずっと、意味がわかりませんでした。「そもそもお義父さんがちゃんと家族と一緒に病状説明を定期的に聞いていたら、お義母さんだって他の家族だってこんなに急にショック受けて慌てて取り乱したり療養準備したりしなくても済んだのでは? 介護ベッドだって、業者さんとやり取りしたり運び込んだり環境整えるの大変だったのに、「お金もったいない」って返しちゃったってどういうこと? 苦しい治療だって無理せず最後の時間を家族とゆっくり過ごした方が苦しまなくていいのに、なんでそんなに頑張ろうとするの? こんなどうしようもない状況になってまたセカンドオピニオン? しかも東京? 漢方? 何言ってるの?? うちの夫連れて行くって? そんなどう考えても無意味なことにまきこむってこと?? うちの夫だって仕事に2歳と4歳の子育てに、忙しいんですけど? 「お金がもったいない」って言っていたくせにその旅費や診察料やらはどこからだすつもりなの? 地方から往復するだけでも交通費結構かかるのに? もしセカンドオピニオンで『新しい治療をしましょう』なんてことになったら、単身で上京するつもりなの? 義実家のお母さんは88歳の義祖母とADHDの次男のお世話もあるから東京についていくなんて無理だよね? 絶対そこまで考えられてないけど思い付きだけで言っているよね??」……口には出せないモヤモヤした気持ちが、私の頭の中に溢れました。


  夫には常々「義父のことは、あなたができるだけ後悔のないように、できることをできるだけ全力でしてね。私はあなたが義父と義家のために時間を使う間、子どもたちと家を守るから」と言っていました。でもそれは建前だったのかもしれません。心の中では、「夫に後悔させたくない気持ち」と「義父を理解できない気持ち」が戦っていて、「東京、行ってきていいよ!」とは即答できない自分がいました。


 気持ちの整理が全くつけられず、どうしようもなくなって、私が頼ったのが、「メッセンジャーナース」でした。


 私の実母は、メッセンジャーナースです。母が「メッセンジャーナースの資格を取る」といった時、まだ学生だった私は「なんだ? その戦隊ものみたいな名前の資格は?」とまあ、よくわかっていませんでした。それから数年、母の活動を見ていて、なんとなくこんな役割のかな? とぼんやり理解していたつもりでしたので、「医療のことを全然理解できていない患者(義父)」と「患者のニーズを受け入れられない医療職(私)」と「終末期の父親との最後の時間の過ごし方を悩む家族(夫)」の、間に入って上手に話をまとめてくれないかな、という淡い期待を持って母に相談し、とりあえず6月の初旬に、母が私の夫の相談に乗る時間を作ることにしました。


 私は事前に母へ状況を説明しており、母は私の気持ちも100%理解してくれていました。だから私は、「メッセンジャーナースと言っても『私の母』なのだから、当然私の味方になってくれるだろう。あわよくば上手に『東京にセカンドオピニオンを聞きに行く必要はない』『セカンドオピニオンを聴くだけなら、オンラインでもできるのでは?』『漢方もらっても飲めるかわからない』とか、夫が東京に行かなくても良い方向で、お金もかからない方向でまとめてくれないかな……」と、狙っていました。


 夫の口から改めて状況を聞いた母は「お義父さんって本当に、根っからの商売人なんだねえ」と言いました。その瞬間、私は「(え?お母さん何言ってんの? 今そんなの関係なくない?)ととっさに思いました。母は「今まで商売の世界で、ひいおじいちゃんが作った大きな会社の3代目社長になるべくして育てられて、社長として勝負ごとに挑む姿勢が身についているから、がんとの闘いも最後まで諦めたくない、強い気持ちを持っているんだね」と続けました。それを聞いて、夫は「確かにそうですね。おとうさんは何事にも恐れず挑んでいく人だった」と、にこやかに言い、「お義父さん」という人について語り始めました。その会話を聞いて初めて、「私はお義父さんの『状況』と『症例』しか見ていなかった」「『お義父さん』という人を知ろうとしていなかったんだ」、だから私には理解できなかったのだと気が付きました。


 母は結局、セカンドオピニオンの東京行きも、漢方も、否定してはくれませんでした。でも、話が終わるころには、夫もなんだかすっきりした顔になっていて、私の中には「こうなったら義父と夫のために最後までとことん付き合おう」という覚悟が生まれていました(覚悟したついでに、母へは「夫はこれからお義父さんと義家にかかりきりになると思うから、お母さんが私の子育て手伝ってよね!!」というと「もちろん!そうなると思ってた(笑)」と、笑いました)。


 その話の後、夫は早急に大学病院へ連絡し、東京の病院へのセカンドオピニオンの手続きを整え、同時に4兄弟全員へ連絡して日程を調整して県内の観光地への家族旅行を計画しました。そして旅行から帰宅した翌日に、B病院へ転院しそのまま入院できるよう、B病院にいる私の父と相談して準備を整えました。


 余命宣告を受けた5月末は、まだ自分で動けていた義父も、だんだんと階段の上り下りが出来なくなり、歩くこともつらくなり、次第に起き上がっていることがしんどくなってきて、一度は返却した介護用ベッドを改めてレンタルしました。結局、セカンドオピニオンは自分で東京まで行くことは難しくなったものの、「オンラインでは希望していた診察のメニューが受けられない」という義父のたっての希望で、義叔父に代理人として行ってもらいました。セカンドオピニオンの結果は大学病院と同じく、現時点で出来ることはなく、大学病院で今まで受けてきた治療も現代の医療として適切なものであった、との診断でした。義叔父は、しっかり大宮で義父の希望の漢方ももらって戻ってきてくれました。そして6月末、自宅から1時間程度の県内の温泉旅館へ1泊の旅行に行きました。旅館の方は、義父の黄疸で染まった顔色を見てこの旅行の目的を察してくださったらしく、館内貸し出し用の車いすを用意してくださったり、「夕食会場は車いすで入れませんが、今日は他のお客様も少ないのでロビーの海の見える窓際の一角にこちらで特別席をご用意いたします」等、快くもてなしてくださったそうです。大浴場はいけませんでしたが、家族の介助で客室内の海の見える絶景の露天風呂にも入れたとのことでした。義父の母である義祖母の米寿のお祝いも一緒できたとのことで、晴天の空の下、絶景のオーシャンビューをバックに義父が家族に囲まれてみんなが笑っている最高の家族写真が、私のもとにも送られてきました。


 そして1泊の旅行から帰ってきた日の夕方、私は義父の容態が悪化したと連絡を受け、義実家に向かいました。義実家にはすでに訪問看護師さんが来てくれていて、状況を伺うと、「今すぐに入院が必要というほどではないが、本人の疼痛の訴えも強く、この後夜間などに急に容態が変化することがあってもおかしくない状況。できればこのまますぐに入院した方がご家族としては安心だと思うが、ご本人はどうしても「『サッカー(ワールドカップ)が見たい』と言っている」とのことでした。私は義父のそばに寄り添い「病院に行って、痛み止めの薬を使って少し体を楽にしたら、サッカーもゆっくり見れるんじゃない? 個室でゆっくりサッカーが見れるなら、入院してもいいかな?」と聞くと、うなずいてくれました。私はその場で父に電話で連絡し、個室でサッカーを見れる状況を整えてくれることを確認し、「サッカー、病院でも見れるって! ちょっと1日早くなっちゃったけど、日本代表のユニフォーム持って、今から病院行ってもいいかな?」と義父に尋ねると、義父は「嫁ちゃんには逆らえないなあ」といったいたずらっぽく笑ってくれました。それからすぐに、救急車でお義父さんは病院へ移動し、入院となりました。翌朝、実父から、「回診に行ったらお義父さんは日本代表のユニフォームを着てサッカーを見ていました」と連絡が来ました。


 入院してからは、夫を含めた義兄弟たちと義母が、24時間入れ替わりで義父に付き添いました。令和の時代、コロナ明けでまだ面会制限も緩和されていない病院もある中で、B病院の緩和ケアの入院患者さんは、24時間面会制限なし、人数制限なし、子どもも入室可という、大変ありがたい面会体制でした。そして私の実父は基本的に患者さんの希望は断らない主治医でしたので、義父と義家族が勝手に病院に持ち込んだ、がんに効くと義父が信じている水素吸入の機器も使用を許可してくれましたし、病院食が食べられなければ「好きなものをなんでも持ってきて食べていいですよ」と言ってくれて、大宮でもらってきた漢方の内服も快く許してくれました。義家族は、兄弟でかわるがわる義父に付き添う時間の中で、夜中も痛みで何度もうなる様子や、自力で体位変換もできず介助を求める姿、うつらうつらして目を閉じて寝ている時間が増えていく様子に寄り添い、みんなが少しずつ、状況を受け入れていっているようでした。


 夫は「お父さんに、『歯磨き手伝って』って言われて、子どもたちにしているみたいに手伝ってあげたら『うまいな』ってほめられちゃった。そういえば僕、おとうさんにほめられるの、すごくうれしくて大好きだったの、思い出した」と言い、その後は、2歳の息子のことも「いっぱい褒めてあげよう」と接していました。「お父さんに何かできることないかな」というので、手浴や温タオルでの部分清拭、ハンドマッサージなどを提案すると、やり方を勉強して自宅にある物品で計画し、面会に行った際に4歳の娘も一緒に「じーたん、おててマッサージするね!」と、ケアをしていました。少しずつ少しずつ、最後の時に向かっていく時間の中で、家族がそれぞれにお義父さんへの寄り添い方を考えていて、その中で私は看護師として持っている知識を活かして、家族としてできるケアを一緒に行っていきました。


 そして入院してからちょうど1週間たった、7月1日の午後、義父は息を引き取りました。義父は入院してからずっと、だれか家族が側にいて、1人ぼっちになることはありませんでした。振り返ると、愛犬も見送り、セカンドオピニオンも聞いて、漢方ももらって、家族旅行にも行けて、サッカーも見れて、病院でも自由に過ごして家族とずっと一緒に居られて、「充実した最後の時を過ごせたね」、と夫が言いました。


 医療職だけど助産師で、一般の人よりは知識はあるけれど、普段終末期の看護に関わることの無い私にとって、義父の事例は正直理解できない発想の連続でした。「お金がもったいないからって電動ベッド返却しちゃったのに、お金かけてまで東京にセカンドオピニオン聞きに行きたいってどういうこと?」「こんなに病状進行しちゃってて、なんで今まで1度も病状説明に家族入ってなかったの?」「水素? 漢方? 何の意味があるの?」「こんな状況になってまでサッカー見たいってなに??」事例だと思うとさっぱり理解できないけれど、「お義父さん」という人間だと思うと、スッと腹に落ちる。ああ、看護って、「人」を見るんだった。状況だけじゃない、症状だけじゃない、「お義父さん」を知ろうとしなきゃいけなかったんだ。今まで看護学生の時も、新人の時も、何度も言われていたはずなのに。仕事をするときは、身についていて自然にやっていたことのはずなのに。当事者になったら自分のことでいっぱいっぱいになってしまって、見えなくなってしまったものを、メッセンジャーナースである母に、見つけ出してもらった気がしました。


 お義父さんには、「医療職の認識」と「患者・家族の理解」の間に、こんなにもズレがあることを教えてもらいました。その認識のズレを埋めていくとき、医療者としてただ正論を患者・家族へぶつけるだけでは寄り添い会えない。医療の視点で「無駄なこと」「意味のないこと」だったとしても、患者・家族にとっては譲れない、大事なことかもしれない。それを知るために、私がお義父さんへ歩み寄るための一歩目が、メッセンジャーナースの「お義父さんは商売人」という言葉でした。


 義父が亡くなってしばらくたった今、まだまだ悲しみの中にいるものの、義家族のみんなが前を向いていられるのは、間違いなく最後の1か月のおかげです。全く後悔することがないというわけではありませんが、それでもあの時「セカンドオピニオンなんてやめろ!」「無駄だ!」と反対してしまっていたら、もっと深い後悔が残っていたかもしれません。結果的に、義父の望みをかなえることが出来てよかった、と夫が言ってくれていて、私は何よりホッとしています。藁にもすがるような気持ちで、「メッセンジャーナースの力を貸して!」と相談したことは、私たち家族の、義父との最後の過ごし方を変えてくれました。


 義父の最後は、私にとって看護の力を再確認する、重要な経験となりました。どうか、もっと多くの人に、メッセンジャーナースの力が届いていきますように。

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