NPO に拘った酒井医師のケア論
酒井忠昭先生の 「NPO に拘った酒井医師のケア論」です。
ケアについて(3C)
酒井忠昭
仕事柄「ケア」について考えてきて、これまで所感を纏める機会がありました。今回は更に進めてみたいと思います。
2015年、政治思想研究者のジョアン・トロントは「ケア」に関する広範な研究にたいしブラウン民主主義賞を受賞しました。この時行った記念公演のタイトルは「Who cares?」で「知ったことか?」を意味する表現でもあります。この反語表現はトロントのユーモアでもありますが、40年以上にわたってケアを巡る社会的・政治的意味を探究してきた彼女の並々ならぬ想いも見て取れます。
「who cares?」は、物事に対して関心を持たない、気にしない態度を表すカジュアルな英語表現です。直訳すると「誰が気にするの?」ですが、実際には「誰も気にしていないよ」「そんなこと気にする必要ないよ」というニュアンスで使われます。
私は1982年に米国の心理学者キャロル・ギリガンがケアの倫理学を提唱して以来、フェミニストの間でこの問題の議論が続けられたことに敬意を表します。2020年コロナ感染症の世界的流行(パンデミック)を機に世界は社会的危機、政治的危機に直面し、貧富格差の拡大が極大に達し、資本主義制度の危機さえ叫ばれています。大気のCO2濃度をコントロールして資本主義が引き起こした気候危機を克服しようと立ち上げた国際協定も無効になり気候崩壊とさえ言われています。もはや人類はどうしたらよいのか、拠るべき価値観は何か、困惑し立ち竦みます。
先ごろ、斎藤幸平氏は「人新世の資本論」の続編として「人新世の黙示録」を上梓して、2024年に、気温が産業革命時点と比べて1.5℃の壁を超えて気候崩壊に達し、世界の進歩と繁栄が終わりを告げる、という趣旨の著書を出版しました。前著では脱成長を目標に、「コモン」(後で詳述します)を復活し市民の活動を広げて異常気象を止めようと提案していましたが、2020年に拡がったコロナ感染症のパンデミックをきっかけにCO2濃度の上昇は続きました。CO2拡散の当事者でもある世界の富豪たちはCO2削減の計画をあきらめ、自分たちだけが気候崩壊から逃れる方策を検討し始めています。斎藤氏は希望の少ない未来に道をつけようと、ボトムアップからの計画的社会主義(矛盾する語法には本書を読んでいただくほかない)を提案しています。
注目すべきは、議論の結論に当たる部分で、フランス革命から約100年後に短期間で終わった労働の自由化を目指したパリコミューンを引合いに出す際、具体策として「ケア」と「エッセンシャル・ワーク」をあげて論じています。NPOの活動を通じて、これらの意義について考えてきましたが、これからの市民社会を繋ぎ維持する活動として欠かせない課題としてあげられたのが「ケア」であることに深い共感を覚えます。
冒頭に述べたジョアン・トロントは「ケア」を論じて、理論、倫理、フェミニストの立場から政治学にまで及んでいます。本邦でも、岡野八代はトロントの考えを引き継いで「ケアの政治理論」を展開しています。私は「ケアの倫理」にはこの混乱した社会に一定の道筋を見つけるヒントがあるのではないかと考えています。その意味を出来るだけ具体的に考えてみたいと思います。(その2に続く)
酒井忠昭:1967年千葉大学医学部卒業、慶応義塾大学外科学教室入局。1975年都立駒込病院呼吸器外科入職、医長。1995年社団法人ライフケアシステムに加わり訪問診療に従事。2001年英国でターミナルケア、在宅診療の調査・研究を行う。2007年NPOホームケアエクスパーツ協会設立、2015年認定NPOとなる。訪問看護ステーション、コミュニティ音楽療法、ディグニティセラピーなどで地域コミュニティ活動を主導している。医学博士(慶応義塾大学)。主な業績、「インフォームド・コンセント(R・フェイドン、T・ビーチャム著、酒井忠昭・秦洋一共訳、みすず書房)」、「医療倫理の夜明け(D・ロスマン著、酒井忠昭監訳、晶文社)」。

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