老いて画く自画像
「残しておきたい7人のコラム」から、国分アイ先生の「八十乙女のつぶやき」を紹介したします。1回目は「老いて画く自画像」です。

国分アイ先生の遺志を引き継いで、妹のミヨさんが命がけでまとめあげた自叙伝の第二弾です。「皆さんのお役に立てるのであれば、故人も喜んでくれるはずです」。お許しをいただき、「我が人生・我が看護観」に引き続いて、掲載させていただくことになりました。
vol. 1
老いて画く自画像
2005-3-15
だいぶ過去の話になるが、東京オリンピック女子バレー決勝戦のその時、私は寮でただ一人、広い風呂に身を沈めながら、そんな自分の行動に我ながら苦笑していた。
この世紀の決戦に、在寮者のほとんど全員、否、日本中の人々がテレビの前に釘づけになり、多くは勝つことを信じ、日本チームに大きな声援を送っていたに違いない。
当時、金メダルがとれる種目について、マスコミは予測を立て、女子バレーも勝ち進むごとに国民の期待が大きくなっていた。だが私には、それ故になお不安が募った。そんなにやすやすと勝てるものではない。相手ソ連チームも必死である。運もある。そして、多くの国民の期待を背負い、緊張の極限にあるだろう彼女らの心情を勝手に想像して、私はわがことのように不安になった。
その不安、緊張が胸をしめつけ、動悸し、その期におよんで、風呂場への逃避となった訳である。風呂を出て結果を知り、私はホッと安心し、繰り返しテレビに映る受賞の場面を何度も見ていた。
この性癖は、けっこう年を重ねても治らない。最近も、アイススケート世界選手権女子の部で、日本の佐藤有香選手の決勝戦は見なかった。これが外国選手だとまったく平気なのだが。
相手の気持ちを知る。相手の立場に立つ。共感的理解とは、看護の中で絶えずつかわれる言葉である。そんな意味で、この性癖は看護職の私にはプラスであった。数度の病気、入院体験は、それを増幅していたようである。
だが、この性格のマイナス面を、老いた今、痛感させられている。相手の痛みや弱みには触れないようにし、相手の望んでいることは、時には自分を殺して受け入れ、同調迎合する。そうすると、相手によっては、私という人間が自分の思うように何でも受け入れるのは当然と思い、そのとおりにいかないと、不信、不満になっていることを知らされた。これでは、真の人間関係や友情は育たない。
老病死苦に直面し、自分の人生を大切に、主体的に生きようとしたとき、他者への迎合など、自分の心に背くことは、相手をも背くことと知った。だが人により、裏切られたと思われ、今までの対人関係に、いささかの不調も出たように思う。そして、私自身も年のせいか、我ながら頑固になってきたと思う。しかし、感謝してこの世を去るためにも、私は自分らしさを大切にし、自分に正直に、残された日々を過ごしたいと思っている。(執筆年不詳)
● 国分 アイ Kokubun Ai
1920年 福島県生まれ。日本赤十字看護婦養成所を卒業の年に大平洋戦争が勃発し、陸軍海軍病院に勤務。戦後は日本赤十字中央病院へ勤務。後に同病院専任臨床指導者となり、日本赤十字看護短期大学の学生指導、教務部長を経て同病院副看護部長歴任。退職後、自治医科大学付属高等看護学校、杏林大学医学部付属看護専門学校、埼玉県立衛生短期大学、日本赤十字愛知短期大学で教鞭をとるというように、一貫して看護教育に携わる。自身も、胃切除、腰椎圧迫骨折、肋骨骨折、胆のう摘出など怪我や病気を体験し、その体験が看護教育に生かされてきた。さらに70歳で多発性骨髄腫を患いながら、放送大学を5年で卒業。フランス刺繍、ケーキづくりと何事にも研究心旺盛。国分アイ先生は、2004年4月14日 昇天されましたが、そのお心を継続して掲載させていただきます。



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