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開業ナースとしての新たな挑戦

2 時間前
読了時間: 3分

 「残しておきたい7人のコラム」から、村松静子さんの「起業家ナースのつぶやき」を紹介しています。今回は『開業ナースとしての新たな挑戦』です。


vol.43

開業ナースとしての新たな挑戦

2007-5-14


 無我夢中で取り組んできた在宅看護、気がついたら、30代だった私が60歳になっていた。団塊の世代の定年退職。本来その一人のはずの私なのだが、未だにウロウロしている。どことはなしに、何とはなしに、空虚感を感じるというのは私の本音である。しかしそうも言ってはいられない。自分がしたいと思い、行ってきたことを放り出すわけにはいかない。


 「助けてください」の家族の言葉に動かされ、11名の現役看護師が寄り集まった訪問看護のボランティアチーム、その名を「在宅ケア保障会」という。1983年2月6日、訪問看護は、その看護師たちの夜勤明けや休日、つまり課外で始まった。そのボランティアチームの活動に終止符を打ったのは、1986年3月24日のことであった。有限会社として法人格を取得したのである。何で会社なの? 営利追求じゃない? ……そんな非難の声もあがった。しかし私は法人にしたかった。ただそれだけだった。当時はNPO法人などなかった。商号を『有限会社 在宅看護研究センター』とし、籍を置いていた看護大学設立準備室を離れた。その際、私には同僚に遅れをとるのではないかという不安があった。そこで迷わず「研究」という二文字を入れ、さらに、「在宅ケア」ではない「在宅看護」「センター」にもこだわった。今は亡き作家・遠藤周作氏にその思いを伝えると、すぐさま賛同してくださった。そして、在宅ケア費用援助制度を設けるなどの後押しまでも……。あの時のやりとりを私は決して忘れはしない。私は、1992年4月1日、『有限会社 在宅看護研究センター』を解散し、個人事業開始届を提出した。もちろんその名称は『在宅看護研究センター』、訪問看護部門と研究部門の2つの柱を立てての再出発である。自分がめざしている方向を見定めながら探って行きたかった。私は幸せ者である。苦しい時には必ず誰かが後押ししてくれた。そして現在に至っている。


 この3月、嬉しいことがあった。私が知らない間に、スタッフ皆で私の誕生日と還暦の祝いを計画し実施してくれたのだ。考えてもいなかっただけに、その喜びは言葉で言い表せないほどだった。在宅看護のいばらの道が舗装されたとはいえ、21年間は長かった。しかし、ひたすら歩き続けてきてよかったと感じた瞬間でもあった。彼女たちに感謝である。


 今当社では、団塊ジュニアたちが動き出している。明らかに世代交代の動きである。私が心から求めていた動きが、この時期にして見えてきたのだ。彼女たちは、私がこだわってきたことを軸とし、一方で、この時代に見合った組織をつくろうとしている。実に有り難く嬉しいことだ。私はその動きを止めることなく、彼女たち一人ひとりの持ち味を自分たちで気付き活かし合っていけるよう、密かに側面から支えていこうとしている。彼女たちならやってくれる。私はそう確信している。



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