「看護の価値はどこにあるのか」
「残しておきたい7人のコラム」から、村松静子さんの「起業家ナースのつぶやき」を紹介しています。今回は『スタッフと共に追求する看護の価値:その2』です。

vol.41
スタッフと共に追求する看護の価値:その2
2006-1-30
「看護の価値」について、改めて疑問を抱いた私は、今の時代、「求められる看護とはどのようなものか」「今の看護師に、何が欠けているのか」「看護の価値はどこにあるのか」をあえて、追究ではなく、追求し続けている。自分で書いたその時代の文面をも読み返しながら考え続けている。
今から6万年前、人間は仲間の死をきっかけに人間らしい心を得たといわれる。その死を悼み、花を手向ける。正に悲しみという感情の表出である。当時は、文明もなかったが大きな戦争も起こらなかった。しかし、それから3万年後、芸術的才能を持ちそなえた狩の達人が現れた。脳の最前部に位置し、最も人間らしさを強調する前頭葉の進化により創造力を勝ち得た人間の誕生である。その前頭葉はさらに進化の道を辿ることになる。生きる前に目標を掲げ、それを達成するために行動を起こす。そこには「善」と「悪」との2つの顔を持つ心が潜んでいた。感情を抑えて人に優しくすることもできるが、勝手に暴走することもできる。その操縦はその人にしかできない。頼もしい反面、恐ろしいことでもある。さまざまな戦闘機を開発して闘おうとする者もいれば、地道に慈善運動を進める者もいる。人を率いる者もいれば、従う者もいる。それらの能力が良い意味で絡み合い、わが国は、みるみる間に経済の高度成長を遂げた。それは見事としか言いようのないことであった。しかし、その波に乗って人々は有頂天になって行く。
それまで手に入らなかった世界中の物を買いあさった。お金さえあれば何でも手に入る。怖いものは何もない。人それぞれが自由に動き出し、羽目をはずす者さえ出てきた。これで良いのかと思いながらも誰も止めることができない。そんな中で自由がさらに称賛されていく。そして、個の存在がより重視され始める。そこでは自由と放縦の履き違いも目立つようになった。いじめや虐待が数多く報道される。仲間意識が薄れる中、経済は低迷の一途を辿ることになる。そして増えるリストラと自殺。中途半端な規制緩和。やるせなさを感じる今の時代である。クローン人間の誕生がささやかれる一方で、自分の脳を冷凍保存して生き続けようとする人さえ現れた今の時代、あの大昔に目覚めた人間の美しい心はどこへ行ってしまったのか……。
人々はふっと思う。心が病んでいる。心が救われない。なぜ不安になるのか。なぜストレスを抱えるのか。誰が助けてくれるのか。私の心を癒してほしい。看護、介護、カウンセリング、音楽療法、アロマセラピー……。今、穏やかな「心」が求められ始めている。
人は誰もが、善と悪との心の芽を持って誕生する。その芽が美しい心に育つのか、それとも汚れた心に育つのかは、環境によって決まる。家庭環境、生活環境、社会環境を築いてきたのはその時代の大人達である。大人には責任がある。改めて自らの行動を省みる必要がある。そして、間違った行動を改め、今できることから進めなければならない。その責任を果たすために、明るく快活な、それでいて無理のない無駄のない温かい社会を築いていくために、善と悪とを見極めながら行動していかなければならない。財政危機や超高齢化・少子化が叫ばれるからこそ、人々は、機械ではつくることのできない人間の美しい心の大切さを実感するであろう。悲しみの心は、悔しさにもつながるが感謝にもつながる。他人の死を自分の死として、大昔の時代にさかのぼってみるのも良いのかもしれない。
(1999年11月「透看」看護トクトク情報「時代の焦点」)




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