戦後80年を迎えたこの夏
- mamoru segawa
- 5 日前
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原山建郎の連載コラム「つたえること・つたわるもの」のNo.196です。 今回のテーマは『歯科医師の証言で「原爆の日」を、やなせたかしの遺言で「敗戦の日」を、まど・みちおの童謡詩で「世界の平和」を考える』です。
戦後80年(昭和100年)を迎えたこの夏、「ヒロシマ原爆の日」(8月6日)、「ナガサキ原爆の日」(8月9日)、「敗戦の日」(8月15日)について、来年一月に満八十歳を迎える戦後ッ子――私(原山)自身が改めて「戦後」を考える手がかりに、大切なトピックを三つとり上げました。
1.歯科医師の証言――広島爆心地へ最初に救護に入ったのは歯科医師だった.じつは先だって、歯科治療で受診した折、主治医の齋藤俊夫さんから頂戴した『日本歯科評論』2025年7月号の抜き刷り(「広島爆心地へ最初に救護に入ったのは歯科医師だった」)に、齋藤俊夫さんの父上で、当時海軍歯科見習尉官だった齋藤貞雄さんの――医療救護隊と言っても助ける術も無い。最後には医薬品もなくなり、ただ焼けぶくれた患者の目を、真水で洗ってやるだけになった。――という「証言」が載っていました。2024年12月、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の活動とも重なる「歴史の証言」だと考えたので、凄惨な被爆現場をレポートした医療者の「証言」として紹介します。
2.『アンパンマンの遺書』『ぼくは戦争大きらい』――〈やなせたかしの遺言〉で「敗戦の日」を考える4月から始まったNHKの連続テレビ小説『あんぱん』の主人公(役名:柳井嵩)のモデルとなった漫画家、やなせたかし(本名:柳瀬嵩)さんが、代表作である『アンパンマン』で伝えたいと願った「正義のための戦いなんてどこにもない。逆転しない正義とは献身と愛だ」を考えるために、著書『アンパンマンの遺書』、『ぼくは戦争大きらい』の中から、「ぼくが『アンパンマン』の中で描こうとしたのは、分け与えることで飢えはなくせるということと、嫌な相手とでも一緒に暮らすことはできるということ」などの「遺言」を紹介します。
3.かけがえのない〈わたし〉、みんなそれぞれ尊い〈いのち〉――まど・みちおが「ぞうさん」で伝えたかったこと――つねに「子どもたちの宇宙からの発信」に耳を傾ける、数少ない「大人」のひとりで、その清らかな心に「子どもの宇宙」をもちつづける、稀有な「大人」である、まど・みちおさんの童謡詩『ぞうさん』の詩句に込められた――違いがあってもそれを認める「目の色が違っても、髪の色が違っても、みんな仲よくしよう」ではなくて、違いがあるからこそ素晴らしい――「目の色が違うから、肌の色が違うから、すばらしい。違うから、仲よくしよう」という「友愛」の心――それは「日本人ファースト」、「MAGA(メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン)」の対極にある「ユー・ファースト、ミー・セカンド(まず、あなたから。次にわたし)」という「譲り合い」の心で――2022年に始まったロシアのウクライナ侵攻、今も続くパレスチナのガザ地区の戦闘と深刻な飢餓、タイとカンボジアの国境紛争、核兵器を保有するインドとパキスタンの武力衝突など無益な殺し合いを止めて、「ほんとうの平和」に導くための、ささやかではあっても確かな「一歩」にしたいと、心から祈っています。
詳細は☞ 196.pdf
お時間のあるときにお読みください。
☆原山建郎☆出版ジャーナリスト、健康ジャーナリスト、日本東方医学会学術委員、日本文藝家協会会員、武蔵野大学仏教文化研究所客員研究員、文教大学オープン・ユニバーシティ講師、元武蔵野大学・玉川大学・龍谷大学・文教大学非常勤講師
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