点滴してと願う妻、医師は約束だからと却下
- mamoru segawa
- 12 分前
- 読了時間: 8分
連載「患者と医師の認識ギャップ考」の25回目です。楠尚子さんが「点滴してと願う妻、医師は約束だからと却下」のテーマで認識ギャップについて執筆しています(ご略歴などは執筆当時のものです。ご了承ください)。
点滴してと願う妻、医師は約束だからと却下
楠 尚子(在宅看護研究センターLLP研究員)
2018/02/05
私がホスピス病棟に勤務し始めたころのことです。経過の長い癌終末期の男性患者と出会いました。病状が徐々に進み、痰の量が増え、呼吸状態が悪化したため、点滴の減量を娘さんに提案した結果、点滴を中止することになりました。その5日後、患者さんは他界されました。その臨終の場面で、「私が点滴を止めたために、父が亡くなった。私が父の命を縮めた」と、娘さんの涙が思い出されます。このように、癌終末期の点滴の是非については、その後のグリーフケアに影響を与える難しい問題であるといえます。
癌終末期には、症状が進んでくると、徐々に食事や水分をとることも難しくなってきます。そして、そばで見守っているご家族は、痩せ衰えていく姿を目の当たりにして、「このままでは見殺しにしてしまう」「何もすることができないのだろうか」「脱水で苦しいのではないだろうか」などと思い悩み、点滴をすることで、少しでも楽になるのでは? あるいは少しでも長く生きてほしいと点滴を希望されるケースも多くみられます。しかし、終末期の輸液については、QOLの改善や生命予後に影響しないことが、数々の研究で報告されています。当ホスピス病棟でも、極力、点滴は控える方針です。
輸液に対するご家族の意味合いは様々です。以前、出会ったケースについて、心に残った場面があったので、振り返ってみたいと思います。
患者:Aさん、80歳代半ば、男性。肝内胆管癌。肺転移、肝転移、リンパ節転移、腹膜播種。腹水の貯留。在宅療養をしていましたが、経口摂取が困難となり、トイレ歩行も困難となり、ほぼ寝たきりの状態となったため、妻の介護負担を考え、ホスピス病棟への入院となりました。
家族:妻と娘。妻は80歳前半。夫が主導で生活していたため、一人では決められず、夫が入院しているにもかかわらず、「トイレの電気が切れたの。どうすればいい?」と電話が入ったほどです。娘は50歳前半。結婚して、近所に住んでいました。
入院時、腹水の貯留、消化管浸潤による通過障害のため、流動食をゆっくりと摂取していました。また、飴玉や、するめやビーフジャーキーを噛んで吐き出すなど、味を楽しんでいました。しかし、徐々に病状が悪化していき、呼吸困難も出現するようになり、日々、衰弱していく様子が感じられるようになっていきました。
ある日曜日のこと。
娘:だんだん弱ってきていますね。しんどそうですね。どうにもできないのでしょうか。
看護師:衰弱も目立ってきており、呼吸も苦しくなってきています。急変ということもあるということを、心に留めておいてください。近いところで、今度いつ面会にいらっしゃいますか? 病状を含め、今後のことについて、先生と相談をしましょう。
2日後、妻と一緒に娘が面会に訪れました。以下はインフォームドコンセントの場面です。
医師:病状が進んできています。おなかの腫瘍も大きくなってきており、肺を圧迫して、呼吸も苦しくなってきています。今までは水分は取れていましたが、今は水分も取れなくなっています。経口摂取ができなくなってきているのは、癌の患者さんの自然の経過と考えられます。ご本人がつらくないように、お薬を調整していきます。そろそろ、お別れが近くなっています。お別れの準備をしていってください。
妻:いまのままでは、しんどそうで、かわいそうで……。水も飲めなくなって、栄養の点滴はしていただけないのでしょうか?
医師:入院時に「ここの病院では点滴をしない」ということをお話していますよね。点滴はしません。
妻:(叱られたというような表情になる)でも……。あんなに痩せてしまって、点滴をしていただくことは……。
医師:はじめに、しないというお約束でしたよね。それを、了解していただいて、入院されたのではないですか。
妻:でも……(妻の顔から表情が消えた)。
娘:母さん、入院時、そういう約束だった。いいのよ。もういいの。できないとおっしゃるのだから……ね。先生にお任せしたのだから。ね。先生、父は、もう長くないということですね?
医師:そうですね。日の単位ということです。今日は頑張ってくれた。じゅあ、明日は? というように、1日1日を大事にしていってください。よろしいですか?
娘・妻:はい、よろしくお願いします。
この場に同席した私は、医師が「点滴をしません」と「入院時のお約束でしたよね」と言った時、妻の表情が硬くなったことや、娘に諭されて、妻が了解したことが気になりました。と同時に、医師がかたくなに点滴を拒んだことに疑問を感じていました。
直後、Aさんの病室にて。
看護師:先ほどの話、分かりましたか? 分からないことはありませんか?
妻:点滴してもらえるかと思っていたのに、先生が、点滴はしないと……。仕方ないのでしょうか。こんなに痩せちゃって……。のどもこんなに乾いちゃって、かわいそう。食べられなくて、死んでしまう……。
娘:母さん、もう言わないの。
看護師:そうですね。痩せが目立ってきましたものね。心配ですよね。少しでも元気になるなら、楽になるなら、点滴してもらいたいと思うお気持ち分かります。奥様は点滴してもらいたいお気持ちを、お話して、先生に断られて、戸惑っちゃいましたね。つらかったですね(妻は黙って、うなずきながら聞いていました)。
ただ、研究結果で、点滴をしても、のどの渇きはよくならないと言われているんです。ご主人、息苦しさも出てきていらして、今のこの時期に点滴をすることで、むくみになったり、おなかの水も増えたり、痰が増えて、かえって苦しくなったりすることがあるんです。患者さんにとっては、やや水分が少ない方がかえって、苦痛を和らげることが多いんです。
栄養の点滴も、それをするには、大きな血管に直接針を刺さして行うのですが、今の状態では、体が栄養分をうまく利用できなくて、同じように体の負担になってしまうの。
娘:そうなんですか。かえって、点滴をすることで、つらくなることがあるんですね。知らなかった。
妻:そうですか。そういうことがあるのですね。私は、少しでも楽になるなら、点滴をしていただきたいと思っただけなのに、先生を怒らせてしまって。
看護師:そんなことないですよ。大丈夫です。こちらこそ、言葉が少なかったですね。申し訳ありませんでした。(本人にむかって)Aさんは、食べられなくなってきているでしょう? 点滴してもらいたいとお考えですか。奥さんたちは、Aさんが痩せてきているでしょう。だから、心配をして、点滴をしてもらえないかしらって、希望されているんですけど。
Aさん:わしは痛いのは嫌だから、点滴はいいよ。しない。今のままで、十分。
娘:あら、そうなの。母さん、お父さん、点滴、いらないって。お父さん、痛いこと嫌いだものね。
ご家族が、ご本人のことを考えて、いろいろ悩んでいましたが、結局、Aさんの一言で、この話の着地点が見えました。
でも、納得できない私は医師に、「先生が『点滴はしません。入院時にしないと了解をもらいましたよね』とお話しした時、奥様の表情が硬くなったことが気になったので、点滴について、お話をしてきた」と報告しました。そして、「今の時点で、入院時を持ち出す必要はなかったのではないだろうか。点滴のメリット、デメリットをお話しして、今の時点では必要ないと考える、と話せばよかったのではないだろうか」と、自分の考えを話しました(医師を不機嫌にしてしまったのは、いうまでもありません)。
この医師の考えは、「癌終末期は、もちろん苦痛に対する緩和は最善を尽くすが、極力、点滴や治療は控え、ご自分の力を存分に使い、枯れるように逝く。それが自然の看取りである」というものです。しかし、今回のインフォームドコンセントの場では、言葉が少なすぎたと思います。終末期の患者を見守っている家族の心は揺れ動くもので、大きな葛藤の中にいます。インフォームドコンセントの場は往々にして、説得の場合が多いと感じます。今回はこの説得が前面に出てしまいました。
説得されたのでは、納得ではなく、不納得の感情がどこかに残されてしまうもの。時間がたって後悔につながらないように、グリーフケアに影響を及ぼさないように、インフォームドコンセントの場では、患者、家族の意向を尊重し、そのうえで、納得できる自己決定ができるように、メリット、デメリットに基づき、適切な情報を提供、自己決定の過程で生じる悩みや揺れる気持ちを理解したうえで、支援していくことが求められているのではないでしょうか。そのためには、日ごろからの患者、家族との十分な対話が重要になってくるといえます。
数日後、Aさんは他界。「ここに入れていただき幸せだった。妻をよろしく」というメッセージと、看護師に対して「ありがとう」の言葉を残して。
その後、医師はというと、「点滴は口喝や病状をよくするものではない」との説明を加えています。そのうえで、それでも点滴をしてほしいと強く願われる場合は、その思いを受け止め、200~500mLの点滴を施行しています。私たち医療者は、患者や家族の揺れ動く思いに付き合っていく柔軟さが必要なのだということを学んだケースでした。

■著者紹介
楠 尚子(くすのき なおこ)
山口大学医学部付属看護学校卒業後、循環器科、外科、訪問看護などを経て、現在、緩和ケア病棟に勤務して9年目になる。メッセンジャーナースとして、対話を重視、患者、家族の揺れ動く気持ちに寄り添い、最期までその人らしく精いっぱいに生きることを支援、質の高いエンド・オブ・ライフ・ケアの実践を目標に、日々、自己研鑽を続けている。
日経メディカル Online 2018年1月5日掲載
日経BPの了承を得て掲載しています。
コメント