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記憶は人生を辿るもの、記録は次の世代に遺すもの

  • 7 時間前
  • 読了時間: 6分

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、「エピローグ」です。

エピローグ


☆「ブックセラピー」


 本書では、遠藤周作さん、遠藤順子夫人をはじめ、多くの著書からの引用と該当ページ、引用元の書籍・雑誌の書誌情報(書名、著者名、出版者、出版年)を明記しています。


 その理由は、『出版ニュース』誌(2012~2018年)に寄稿した連載コラムの『ブックセラピー(book therapy)』にあります。これは同誌の清田義昭編集長から与えられたテーマで、タイトルの「ブックセラピー」にはダブルミーニング(2つの意味)があります。


 そのひとつは、「リーダー(読み手・reader)」を主語にして、この本を読むことで〈癒される〉、つまり本に書かれたことばが、読み手の心を癒すという「読み方」です。


 たとえば、音楽を通じて心身の安定をはかる「音楽療法(musical therapy)」がよく知られています。


 また、「本(書籍)の」を意味するフランス語「ビブリオ(biblio)」を冠した「ビブリオセラピー(読書療法)」もあります。日本読書療法学会では、これを「読書によって問題が解決したり、何らかの癒やしが得られたりすること」と定義しています。これは「どのような本を読むことによって読み手が〈癒される〉か」という視点での「ブックセラピー」です。


 もうひとつは、「ブック(書き手・writer)」を主語にして、この本がどのように読んでもらえたら著者(書き手)はうれしいか、本の「書き手」が〈癒される〉という「読まれ方」です。


 書き手が「つたえる・こと」と、読み手に「つたわる・もの」とが、必ずしも一致するとはかぎりません。これまで何冊かの「ブック」を上梓した私も含めた「書き手」は、想定外の読まれ方に驚くことがあります。しかし、「書き手」の(頭の中にある)思いや主張を読み手の「誰か」に「つたえる」ために書かれた文章(原稿)は、「ブック(書籍/雑誌)」の形になった時点で、もうすでに「書き手」を離れ、その「ブック」は読み手(読んだ人)のものになるのです。


 「ブック」の読み手は、そこに書かれた文章を「目で追う」のではなく、読み手自身の〈からだ/歴史的身体(これまでの人生で味わった喜びや、悲しみの集積)〉にいったんとり入れ、ゆっくり、あるいは急いで咀嚼し、自らの〈からだ〉を構成する三十七兆個の体細胞のいくつかに、しっかり上書き(overwrite)されていきます。「ブック」を読む前の〈からだ/歴史的身体〉と、読んだあとの〈からだ/歴史的身体〉が、大きく変わるのです。


 たとえば、「リーダー(読み手)」を主語とすれば、「ブック(本)を読んで(読み手が)癒される」→「本に書かれたことばが、読み手の心を癒す」という読み方――遠藤順子夫人の著書「『再会 夫の宿題 それから』を読んで、遠藤さんが亡くなる瞬間に順子夫人が受け取った「俺はもう光の中に入った」というメッセージに感動した」、あるいは遠藤さん最晩年の著書「『深い河 ディープ・リバー』を読んで、ただひとりファーストネームで呼ばれる、美津子の生き方に共感した」のように――。


 あるいは、「ブック(書き手)」を主語とすれば、「ブック(本)が思い通りに読まれて(書き手が)癒される」→「本の書き手が癒される」という読まれ方――この「ブック(著者の思い)」がどのように読まれればうれしいか、書き手の「伝える」思いが、読み手に「伝わるもの」ことで〈癒される〉」のかどうか―—。


○「記憶はたどるもの、記録はのこすもの」


 第一~三章は、遠藤さんの信仰と家族愛の〈自分史〉ハイライトです。遠藤さんは10歳のとき、最愛の母、郁さんの勧めで、兵庫県夙川の教会で、キリスト教の洗礼を受けますが、その後、何度も信仰を棄てようとしても、母の哀しそうな顔が脳裡に浮んで棄てられない――僕が神を棄てようとしても、神は僕を棄てないのです――と、最晩年の作品『深い河 ディープ・リバー』で、神学生の大津に言わせたことばが、そのまま遠藤文学の原点になっています。


 遠藤さんが「日本人の身丈に合ったキリスト教」を生涯のテーマと定め、転び切支丹を扱った『沈黙』を発表し、さらに仏教などにも深い関心を寄せて、最晩年にガンジス河を舞台に『深い河 ディープ・リバー』を描いた作品群は、自らの「病い」を深く見つめ、「神さま」を祈り求めた人生を通して発芽した苗に花が咲き、そして、日本人のこころに届く「果実」――西欧から伝来したキリスト教のコピー(挿し木)ではなく、日本の精神風土で芽生え、育って、美しい実をつけた――「実生化(インカルチュレーション)」として世に送り出されたものです。


 さらに、第四~七章には、遠藤周作「からだ」番記者として参加した「心あたたかな病院(医療)」キャンペーン――讀賣新聞に寄稿した連載エッセイ「患者からのささやかな願い」/東大病院の「入院案内」が変わった/「心あたたかな医療」を支える〈旅の仲間たち〉――を取材した40数年間の記録を収めました。


 そして、最後の第八章では、2024年5月、「患者を看取った宗教者の「死の語り」に関する研究――宗教多元主義の理論と実践」【研究代表者 桜美林大学 長谷川(間瀬)恵美】定例研究会で発表したキーノートスピーチ、「クオリティ・オブ・デス(Quality Of Death)――泣いて生まれて、笑って死ぬ――〈いのち〉の臨界点をさぐる」をはじめとして、遠藤さんの帰天(1996年9月29日)後、天国の遠藤さんから与えられた、いくつかの「宿題トライアル」を載せました。


 たとえば、「クオリティ・オブ・デス」の発表要旨を、次のように書きました。


 クオリティ・オブ・デスには、ある個人における一時点の「死(肉体の細胞死)」を意味する医学的なデス(Death)だけでなく、ある個人が死にゆく過程(ダイイング・プロセス)や遺族に対する精神的なケア(グリーフ・ケア)を含む、広義の「死(ダイイング)」がある。たとえば、自然出産(ナチュラル・チャイルド・バース)に、妊婦のいきみと胎児の娩出がもたらす「往相(おうそう)の呼応」があるように、無意味な延命措置を望まない自然死(ナチュラル・ダイイング・プロセス)にも、「これ以上は生きられない」と告げる「還相(げんそう)の呼応」――新しい旅立ちをもたらす〈いのち〉臨界点がある。オギャアと泣いて生まれた私たちは、笑って死ぬことができるのか。老いる(老いを生きる)、病いる(病いを生きる)――「救死に一生を得る」生き方をさぐる。


 先日、インターネットで見つけた素敵なフレーズ、「記憶――それは人がつくった物語、記録—―それは人がつくった足跡(Memory is the story people create; Record is the footprint people leave behind.)」を、原山流に少しアレンジしてみました。


 「記憶は人生を辿るもの、記録は次の世代に遺すもの(Memories are to be retrace the steps of life, records are to be leave behind for future generations.)」


 本書は、遠藤さんが1982年に提唱した「心あたたかな病院がほしい」キャンペーンの「記憶を辿(たど)り」ながら、そして、21世紀の医療と看護のあり方を考える手がかりとなる「記録を遺(のこ)す」一冊としてまとめました。


 当初は「ブック(書籍)」として出版する予定でしたが、残念なことに、どの出版社からも断られてしまいました。幸い、40数年前から、「心あたたかな病院(医療)」キャンペーンを支えてこられた「在宅看護研究センターL.L.P.」代表・村松静子さんのご好意で、同センターのホームページに、少しずつ分割して掲載していただけることになりました。


 いまも、このキャンペーンを支える〈旅の仲間〉、看護師の村松静子さんをはじめ、甲府市の在宅ホスピス医・内藤いづみさん、大腸肛門科医・山口トキコさん、元東大病院看護師長・小島通代さん、遠藤ボランティアグループの皆さん—―にも、心から感謝します。


 そして、ことし1月、80歳を迎えた私を、いつも笑顔で支え励ましてくれる妻、一枝に、心からの「ありがとう」を捧げます。


2026年5月25日

原山建郎

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