死は人生で最も素晴らしい経験の一つになり得る
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原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、第八章の『7.「お迎え」されて人は逝く――アポビオーシス(細胞の寿死)』です。
7.「お迎え」されて人は逝く――アポビオーシス(細胞の寿死)
☆「細胞の壊死」、「細胞のプログラム死」、「細胞の寿死」
ここでもう一つ視点を変えて、人間のからだ(ヒトの個体)を構成する約37兆個の体細胞(からだの部品)の生物学的な死の過程(ダイイング・プロセス)について考えてみます。体細胞の「死」には、ネクローシス(細胞の壊死)、アポトーシス(細胞のプログラム死)、アポビオーシス(細胞の寿死)という、三種類の「死」があります。
人間総合科学大学特任教授・田沼靖一さんの著書『アポトーシスとは何か――死から始まる生の科学』(講談社現代新書、1996年)の説明を要約しながら、からだを構成する三種類の細胞の「死」について考えてみましょう。
●「ネクローシス」は、創傷(火傷や切り傷)を受けた部分の細胞が破滅的な状態に追い込まれたサドン・デス(突然死)、アクシデンタル・デス(事故死)の現象をいう。
●「アポトーシス」は、からだ(ヒトの個体)の存続のために不要になった(新旧交代が可能な)再生系の細胞を、からだから取り除くために必要なプロセスで、細胞のプログラム死と呼ばれている。
平たくいえば、古くなった皮膚の細胞が垢となって剥がれ落ち、皮膚の内側からせり上がってきた新しい皮膚細胞と入れ替わる現象に見られる、いわゆる細胞の新陳代謝のことである。ギリシャ語の「アポ(離れて)+トーシス(下降)」からきたことばで、枯れ葉などが木から「落ちる」というほどの意味があり、たとえば「枯れるように死ぬ」という表現もあるように、ナチュラル・ダイイング(自然死)の範疇に入ることばである。
細胞レベルで1日に平均すると、約1兆個もの新旧細胞が入れ替わっている。速いものでは、腸の微絨毛が約1日、胃壁の粘膜が約3日で入れ替わります。遅いものでは、骨の細胞は幼児期で約1年半、成人では約2年半、70歳以上では約3年ですべての骨細胞が入れ替わる。このように、見た目には「ずっと生きている」ように見える私たちのからだの内側で、絶え間なく細胞の「死」と「再生」が繰り返されている。
●「アポビオーシス」は、ギリシャ語の「アポ(離れて)+バイオシス(生命)」からきたことばで、東京理科大学教授(※当時)の田沼靖一さんによって「細胞の寿死(アポビオーシス)」と命名された。これは、成人の心筋細胞や神経細胞など、非再生系(新旧交代が不可能で、ヒト個体が死ぬまで分裂・再生せずに同じ細胞が生き続ける)の細胞にも動物種固有の分化寿命があり、ヒトでは生物学的な最長寿命は最大120年ぐらいとされている。
たとえば、ネクローシスを予期せぬ火傷や切り傷による細胞の事故死にたとえると、アポトーシスは細胞レベルで旧細胞の「死」と新細胞の「再生」をプログラムされた日々の「お迎え」であり、そして、アポビオーシスは生物学的な生命限界(寿命死)まで生き切った、究極のナチュラル・ダイイング(自然死)、つまり最終章の「お迎え」であると考えることはできないでしょうか。
ちなみに、これまで世界最高齢とされた116歳(明治41年生まれ)の糸岡富子さん(兵庫県芦屋市)が、2024年12月、老衰のため亡くなられたそうです。糸岡さんは、天寿を全うして「寿死」を迎えられたのです。
☆〈お迎え〉か〈せん妄〉か――とにかくその患者と対話してみる。
「お迎え」現象といえば、奥野滋子医師の著書、『「お迎え」されて人は逝く――終末期医療と看取りのいま』(ポプラ新書、2015年)があります。奥野さんは金沢医科大学卒業後、順天堂大学医学部麻酔科で麻酔・痛み治療に従事しましたが、2000年から緩和ケア医に転身し、その後は湘南中央病院在宅診療部長として在宅での緩和ケアに携わっています。
奥野さんは、長らく医療の現場では〈お迎え〉現象は脳の機能不全によって生じる意識障害、いわゆる「せん妄」と診断され、治療の対象とされることが多かったことに疑問を感じ、病院での診療・看取りだけでなく、在宅での診療・看取りを通して、日本人の「お迎え」現象の意味を考えるようになりました。同書には、〈お迎え〉現象を「せん妄」と診断され、抗精神薬(幻聴や妄想などの症状を抑える薬)を病院で処方された女性(九九歳)、Nさんのケースが紹介されています。
奥野さんが訪問診療でケアしていたNさんは、自宅ではベッドから手を伸ばせば届くところに仏壇を置き、ときどきご先祖との会話らしき言葉を発することもあったようです。そのころのNさんの認知機能はほぼ正常で、自分の意思をきちんと伝えることができていたといいます。
ところが、たまたま圧迫骨折を起こして受診した病院に、痛みがやわらぐまで入院することになったNさんが、見舞に来る人に「こんなに動けないんじゃ人間終わりだ。もう死にたい。終わりにしたい。死なせてほしい」と訴える様子に驚いた病院スタッフが、「自殺の恐れあり」と判断して、精神科専門医の診察を受けさせました。
すぐに「うつ」という診断が下され、抗うつ剤と抗精神薬(死にたいという気持ちを落ち着かせる薬)による治療が開始されると、一日中、ぼうっとしてすごすようになったといいます。いつも口にしていた「死にたい」という言葉を周囲が聞くこともなくなり、その後はご先祖との会話を耳にすることもなくなり、Nさんはそのまま亡くなったといいます。
死が間近に迫った患者が通常では説明しづらい行動をとり始めたときに、それを「お迎え」現象ととらえるのか、せん妄と診断するかによって、旅立ちまでの過ごし方が大きく違ってきます。
「本人が怖くないと言うのなら、夜中でも起きてしゃべっていようがいいじゃない」となれば、たぶんその人は誰かとの会話を続けることができるでしょう。
でも、意識障害と判断してすぐに薬剤治療をして眠った状態にしてしまうと、もうそうしたチャンスが奪われてしまうのです。
そもそも医療者自身が「お迎え」現象を理解していなければ、すべてが病気扱いになってしまいますし、患者本人や家族も「お迎え」の情報がなければ、「頭が変になったみたい」と思い込んでしまいます。
「お迎え」現象を知っている医療者でも、「お迎え」か「せん妄」か、診断の際に意見が分かれることが往々にしてあります。
私はそうした場合はとにかく、その患者と対話をすることにしています。たとえば、飛行機が飛ぶ音が聞こえると、誰かの名前を叫びながら蒲団にもぐって隠れようとした高齢の女性がいました。「誰かの名前を呼んでいたけど、どうしたの?」とまずは尋ねてみるのです。単に意味もなく叫んだり逃げようとしているのなら、「せん妄」かもしれませんが、「空襲のときに一緒に防空壕に隠れていた○○さんが今ここにいた」といった、何らかの意味づけができれば、「お迎え」の可能性もあります。
目の前の現象だけで判断したり、すぐに薬剤治療に踏み切ろうとしたりせずに、本人に身体的な苦痛がなく、危険な行為に至らないようなら、見守って様子を見るように心がけています。
(『「お迎え」されて人は逝く』82~83ページ)
☆「コハガラナクテモイヽ」という「道しるべ」を立てる。
さきに取り上げた『看取り先生の遺言――がんで安らかな最期を迎えるために』で、文中に引用した岡部健医師(看取り先生)の『患者体験から見えるケア――在宅緩和ケアの原点に戻る――』(『緩和ケア』2011年9月号)の一文に、「道しるべ」ということばがあります。
在宅での看取りができるかどうかは、宮沢賢治の「南二死二サウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」という一言をわれわれ(※医療者)が言えるかどうかにかかっています。われわれはあの一言を、本当に患者さんに言えているでしょうか。生の世界を引き延ばすはなしではなく、「怖がらなくてもよい」という道しるべを立てることができているでしょうか。地域にあった死生観を掘り起こしつつ、論理からではなく、看取りの経験の積み重ねによって、再び死の側の斜面の道しるべを立て直す時期に、今、きているのだと思います。
(『看取り先生の遺言』173ページ)
岡部医師は、〈お迎え〉がせん妄によるものかどうかを論じるよりも、〈お迎え〉を体験した患者がほぼ例外なく穏やかな最期を迎えることに着目し、2002年から遺族を対象に〈お迎え〉体験の調査を行いました。
その成果は『現代の看取りにおける〈お迎え〉体験の語り 在宅ホスピス遺族アンケートから』という論文にまとめられ、東京大学大学院の『死生学研究』にも掲載された。(中略)
この調査では、「患者さまが、他人には見えない人の存在や風景について語った、あるいは、見えている、聞こえている、感じているようだった」という質問を設けて「お迎え」体験の有無について尋ねている。ちなみに故人の平均年齢は74.2歳である。
その結果、実に42.3%の人が「そういうことがあった」と答えている。(中略)
「お迎え」体験で故人は何を見たかというと、実に52.9%の人が、〈すでに亡くなった家族や知り合い〉と回答している。「お迎え」という言葉から、私たちは仏様が迎えに来るようなイメージをしがちだが、この論文では、仏様があらわれたのは5.2%にすぎず、大半は身近な人物である。お迎えにあらわれるのは〈生者より死者(71.1%)〉が圧倒的に多く、その死者の78.1%が家族や親せきなのである。なお、「お迎え」体験をした場所は、「自宅」が87.1%で、「一般病院」は5.2%にとどまる。
更に興味深いのは、「お迎え」体験後、体験した故人の様子が、「普段どおりだった」が40.0%(%の分母は155)、「落ち着いたようだった」が14.8%、「安心したようだった」が10.3%で、あわせて65.1%が穏やかだったことが伝わってくる。
(『看取り先生の遺言』175~177ページ)
☆ 3・11の直後に開設された「臨床宗教師」養成講座
2011年に起こった「3・11(東日本大震災)」の直後、日本版臨床宗教師の必要性を訴えた岡部医師の願いに呼応して、東北大学大学院に開設された「実践宗教学寄附講座」が目指したものは、終末期を迎えた患者に「怖がらなくてもよい」という「道しるべ」を示してくれる宗教者、特定の宗派にこだわらない臨床宗教師の活動でした。
また、それは日本に古くから伝わる祖霊信仰—―祀られた祖先の霊魂が、子孫や一族を守ってくれる――とも深い関係にある、すでに亡くなった家族(祖先)からの呼びかけ、いわゆる〈お迎え〉現象に見守られながら穏やかな最期を迎えるための、すべての人のナチュラル・ダイイング・プロセス(自然死に至る準備過程)に向けられる、「心あたたかな」まなざしではないでしょうか。
☆ 「南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」
最後に、1933(昭和8)年、37歳の若さでこの世を去った東北の詩人、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』を、声に出して読んでみましょう。
「雨ニモマケズ」 宮沢賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
♣ エリザベス・キュブラー・ロスのことば 2
死は人生で最も素晴らしい経験の一つになり得ると、私はいつも言っています。人生の毎日を正しく生きていれば、恐れるものは何もありません。(I always say that death can be one of the greatest experiences ever. If you live each day of your life right, then you have nothing to fear.)
コラム 9 死では終わらない物語、傾聴の護美箱。 『大往生』(岩波新書、1994年)の著者、永六輔さんが83歳で亡くなった。数年前、鎌田實医師とのテレビ対談に車椅子で出演し、「パーキンソン病、前立腺ガン、骨折で三度死にかけたが、どのときも平静ではいられなかった」と語った永さんは、「大往生」を次のように定義している。 人は死にます 必ず死にます その時に 生まれてきてよかった 生きてきてよかったと思いながら 死ぬことができるでしょうか そう思って死ぬことを 大往生といいます。 (『大往生』196ページ)
永さんはさらに、「そう思って死ぬこと(終末期)」に立ち会ってくれるお坊さん(宗教者)が必要だと、提案します。
ぼくはひとつの提案として、そのときお坊さんが、いや牧師でも何でも結構なんだけど、宗教者が必ず最期のセレモニーに立ち会うようにしたらいいと思いますね。お寺に育ったから言うわけじゃないけど(笑)。死後だけではなく、もう一つ手前の段階で、つまり看取るときに家族と一緒になって、その人生の最後の瞬間に平安をもたらすことに、宗教者が何らかのお手伝いができなきゃいけないのではないでしょうか。 (『大往生』178ページ)
「人生の最後を迎えるとき、傍らにいることを許された人、そばにいてほしいと思われた人、それが臨床僧侶の役割です」 『ミトルヒト――終末期の悲嘆に寄り添う一人の僧侶の軌跡――』(本願寺出版社、2015年)を著した鹿児島県善福寺住職、長倉伯博さんは36歳のとき、京都で開かれたビハーラ活動者養成研修会に参加し、キリスト教のホスピス医や病院チャプレンの講義を聞いて、胸の奥に火がついた。 数日後、地元の新聞に載った「鹿児島終末期医療について考える会」の記事を見て、連絡先に電話を入れた。職種を問われ「僧侶です」と答えると、「申し訳ないが、坊さんだけは遠慮してくれ」と言われた。 その後、県内120カ所ほどの病院に電話をかけたが、すべて丁重に断られてしまった。 ところが、ある日突然、「相談に乗ってくれる僧侶がいるなら、ぜひ会いたいと言う患者がいる」という連絡を受けた。すでに三度の手術を受けた五十六歳の男性で、四度目はもう無理な状態だという。 長倉さんは、こう尋ねた。「何が一番おつらいですか」 しばらくして彼は意を決したように話し出しました。 「私は地獄に往きます。往かねばならないのです。(中略)」 では、どうして私を選んだのですか、と尋ねると、 「人をいっぱい傷つけてきた私の人生を、誰かに話しておきたかった。身勝手かもしれないが、その相手はお坊さんが一番ふさわしいと思ったのです」 (『ミトルヒト』23ページ)
「お願いだから、死なせてくれ、殺してほしい」と頼まれたこともある。「おつらかったんですね。どうして死にたいのか、もう少し話してみませんか」と尋ねると、「妻はこの四日間、ろくに寝ていない。病気になってから十六年間、こんな男に付き合ってくれた。もういい加減に妻を楽にさせてやりたい」と話したあと、「こんなつらい話を聞いてくれてありがとう」と涙を流した。
病室のドアを開けながら、長倉さんは心の中でそっと呟く。 〈オレはゴミ箱、ゴミ箱……〉 終末期を迎えた人々には、人生のつらさを捨てる「ゴミ箱」が必要となる。しかし、それは単なるゴミではない。「死なせてくれ」という言葉には、「妻を楽にさせてやりたい」という愛の気持ちが寄り添っている。
人生の最終章に求められる、傾聴の護美箱。 (Book Therapy no.56、『出版ニュース』2016年8月中旬号) |



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