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人生を真剣に考えなければよかった

  • 5月8日
  • 読了時間: 10分

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、第八章の『5.「病い」を生き切った順さん、やさしく看取った奈保美さん』です。

5.「病い」を生き切った順さん、やさしく看取った奈保美さん。


☆「医師と取材記者」から、〈患者とその家族〉となる。


 日本の医療問題、とくに高齢者の「看取り(老衰死・自然死)」をテーマに選んで、精力的な取材・執筆・講演活動を行っているフリーライターの友人、田中奈保美さんから、高著『ボケてもがんでも死ぬまで我が家――夫のがん発覚から看取りまでの1年2カ月の記録――』(田中奈保美著、アートデイズ、2022年)をいただいきました。


 以前にも、『枯れるように死にたい――「老衰死」ができないわけ』(田中奈保美著、新潮社、2010年)を頂戴したことがあり、やはり高齢者の「クオリティ・オブ・デス(安らかな死)」「リビングウイル(尊厳死)」「ナチュラル・ダイイング(自然な〈お迎え〉)」「バリデーション(認知症の人に対するケア)」に関心を寄せているフリーライター仲間の私にとって、田中さんはいわば「戦友」のような存在です。

 

 『枯れるように死にたい』には、夫である医師、佐藤順(すなお)さんが、心臓血管外科医として大学病院、県立病院で勤務したあと六十五歳で定年退職し、その後、介護老人保健施設や特別養護老人ホームで施設長だったころ、順さんと保奈美さんが交わした「夫婦の会話」などが収められています。

 

 老人施設で働くようになってまだ日も浅いある日、夫は帰宅するなりこう言った。


 「病気でもないのに病院に送るとはなにごとだ! ねえ、きみ、おかしいと思わない。病院は病気を治すところであって、亡くなった年寄りを送るところじゃないでしょ」


 夫はけっこう怒っていた。しかし、怒りの矛先がなく、とりあえず身近な私に投げかけてきたのだった。話を聞いてみると、施設では利用者の寿命が尽きて死にそうになったときには、すみやかに病院へ搬送することになっているという。それどころか、ときには呼吸が止まっているのに気づいて、あわてて車に乗せて死者を病院に運ぶこともある。それが当然のごとく行われていると知ってとても驚いたという。


 夫の怒りの理由は二つあった。


 ひとつは病院は病気を治すところであって、寿命が尽きた年寄りの死に場所として使われるのは問題だ、間違っているということ。そして、今ひとつは病気ではなく老衰で亡くなっていく年寄りを、なぜ住み慣れた自宅や施設で看取ってあげないのかということ。年寄りが気の毒ではないか、と夫は言った。

(『枯れるように死にたい』1~2ページ)

 

 それまで高齢者の死について病死か老衰かなど厳密に考えたことがなかった奈保美さんの耳に、「老衰で亡くなっていく年寄りを、なぜ自宅や施設で看取ってあげないのか」という問いかけが、胸の奥に響いたといいます。

 

☆「人間の尊厳を冒していると思わない、きみ」


 もうひとつ、老人施設における高齢者のターミナルケアでは、老衰で生命のレベルが低下すると、自然に食欲がなくなったり、飲み込む力が衰えてくると、やがて食べ物を受けつけなくなります。その段階で病院に送られると、多くの場合、胃に穴をあけたり(胃ろう)、鼻から胃へ管を通して栄養を送る(経鼻栄養)処置が施され、その結果、自力で食べることができなくなったお年寄りが、車にガソリンを注入するように管を通して栄養を補給されながら、意識もうろうの寝たきり状態で何年も「生き続ける」ことになります。


 そんな現実を目の当たりにした順さんは、奈保美さんに再び「人間の尊厳を冒していると思わない、きみ」と問いかけます。


 順さんの怒りは、自分にとっても見過ごしにできない問題だと考えた奈保美さんは、老人施設での高齢者の終末期の現実をもっと知りたい、見てみたいと思うようになり、この本の取材・執筆を決意したのです。


 同書には、勤務医から開業医に転じたワタナベ医師の、胃ろうに対する考え方の変化が書かれています。

 

……胃ろうは延命でなく救命であり、生命維持に不可欠。


 なるほど、そういう考え方もあるのか、とワタナベ医師の話を聞いて私は軽い衝撃を受けた。見方を変えると是にしか見えなくなる。ワタナベ医師の考え方は高齢者の終末期を知らない臨床医師の多数意見かもしれない。ワタナベ医師の説明を受けた家族にとっては、胃ろうを置く以外の選択はほとんどなかっただろうと思った。


 繰り返しになるが、問題は胃ろうを置いた高齢者の「その後」だ。ワタナベ医師は病院勤務をやめて開業し、在宅医療を経験するまでは、大多数の臨床医と同様、「その後」についての知識はなかった。

 

●死ぬ時機を逸する患者


 そして開業して五年たった現在、考え方が変わってきたとワタナベ医師はいう。


 「このまま無制限に胃ろうで栄養を与え続けるのが、果たしていいことなんか疑問を感じるようになってきたんです。在宅医療で診ているお年寄りが寝たきりで意識のないまま、死ねなくなってしまっているんですよね」


 そう言って、こんな現実を明かした。


 「胃ろうを置けば、栄養状態がよくなってお年寄りの身体は元気になる。ということは介護がそれだけ長引くということなんです」                

(『枯れるように死にたい』151~152ページ)

 

☆認知症と食道がんを発症した夫の「看取り介護」


 『枯れるように死にたい』出版から数年後、医師として高齢者の延命治療を深く憂慮し、自ら施設長をつとめた老人施設で「高齢者の自然死」を推進してきた順さんが、八十歳代を目前にして認知症を発症します。


 さらに、八十歳で食道がんが見つかったときには、すでにリンパ節に転移し、ステージ3と診断されました。主治医からは治療しても再発の可能性はかなり高く、再発したときにはもう治療法はないと言われたのです。かくして、〈高齢者の看取りと死〉を共通のテーマに、二人三脚の人生を歩んできた二人は、それまでの「医師と取材記者」という立場から、今度は「認知症と胃がんの患者とその家族」へと大きくシフトしたのです。


 順さんが希望するクオリティ・オブ・デスは、「延命治療してまで生きたいと思わない。最期まで自宅で過ごしたい」ということで、その考えは最期まで揺らぐことはありませんでした。


 しかし、認知症と胃がんを併せもつ医師でもある順さんを「最期まで自宅で看取る」覚悟をきめた奈保美さんには、数年前から同居することになった実母(週3回デイサービス、週2回ヘルパー介助)の世話もあったので、『ボケてもがんでも死ぬまで我が家』に記された「がん発覚から看取り」まで、1年2カ月にわたる「看取り介護」には想像を絶する苦労があったのです。

 

 当の夫は担当医との面談で食道がんと知らされたものの、記憶が曖昧で、やはりはっきりとした自覚がない様子。夕食時に咽喉を詰まらせると、検査したことを思いだしたようで、


「なんだったのか、この咽喉のところは」

と質問が始まります。


「食道がんが見つかったんですよ」


「治療はいつからだ」


「来週からです」


「なんで来週からなんだ」


 いつものようにひと度質問が始まると、何度も同じ質問が繰り返されます。今言ったことを忘れる、聞いたこともたちまち忘れる夫のタイプの認知症。とくに少し緊張状態になるとこうした症状が出やすくなります。喉の不調、受診、がんの診断、治療開始という一連の出来事に、夫も記憶が曖昧ながら、ストレスを感じている証拠だとも思いました。       

(『ボケてもがんでも死ぬまで我が家』34~35ページ)

 

 夫は認知症が始まっています。読書をしたり、音楽や落語を聴いたり、テレビを見たり、それなりに入院生活でも楽しみがあればいいのだけれど、すでにそうしたことに興味を示さなくなっています。一方、家にいれば同居する私の実母と家族3人の食事の団欒があり、16歳の老犬のモエを抱きしめることもできます。文句を言いながらもゴミ出しをし、洗濯物を干し、食後に食器をさげたり、私の家事仕事の手伝いで身体を動かせます。テラスにやってくるすずめや鳩に餌をまき、夢中で餌をついばむ鳥たちの様子を眺め、ときどき横取りしに来るカラスを追い払うのも夫の役目です。さらに必要とあれば母の介助をし、ああ言えばこう言う母に呆れながらも、話し相手になります。


 誤嚥のリスクを避けて入院するとは、そうした日常が消えて、日々、医療機器に囲まれた殺風景な空間に身を置き、点滴につながれて毎日を過ごすということです。

(『ボケてもがんでも死ぬまで我が家』45~46ページ)

 

 高カロリー輸液や胃ろう造設などの「延命治療」を望まない「患者」である順さんの食道がんは、今まで通りの食べ方では、すぐに食べ物を食道患部に詰まらせてしまいます。そこで、奈保美さんは食卓で順さんの横に張り付いて、「少しずつよ」「よく噛んでね」とひと口ごとに注意しました。


 すると、「わかってる!」とうるさがられ、黙っていると、うっかりいつもの調子で食べてしまい、あっという間に食道患部を詰まらせてしまう。気が気ではない。内視鏡検査直後は、患部に溜まっていた「食べかす」が、胃カメラの通過にともなって下へ押し流され、食べ物の通りがそのときだけよくなることもありました。

 

 朝食で食べていたトーストは細かく切って、温めた牛乳に浸したものを口に入れてもらうのですが、頻繁に引っかかってつかえてゲホゴホと吐き戻してしまう。温泉卵は大丈夫(夫の大好物でしかも栄養価が高いので、咽喉の通過には支障がないとわかり、ホッとする)。ソーセージやサラダは細かく刻んだものでも要注意。白いご飯はおじやにしてみたが、一口食べてはゲホゴホ。これも要注意……。

(『ボケてもがんでも死ぬまで我が家』39ページ)

 

☆何よりも必要だったのは、「愛情を培う努力」だった。


 日記スタイルで書かれた第四章「最後の40日」の「1月15日(日)」には、咽喉(食道がん再発)の痛みの緩和処置(麻薬性鎮痛剤投与)で一時入院した順さんが発した素敵なひと言が記されています。

 

 別れのときは刻一刻と近づいているのだ。毎日のように痛い痛いという肩をさすると、日ごとに痩せて骨と皮だけになっていくのがわかる。食事らしいものはいっさい受け付けず、アイスクリームやりんごや梨などの果物をほんの少量口にするだけ。ひとりで病室にいるのは本当に寂しいのだろう。一昨日の朝などは私が病室に入ったとたん、


「奈保美! 寂しかったよ」

と言って私に抱きついて、たまたま部屋にいた看護師さんたちを驚かせた。心は日ごと無垢になっていくものなのか。ありのままの気持ちを包み隠さずさらけ出す姿に救われる。

(『ボケてもがんでも死ぬまで我が家』257ページ)

 

 順さんが息を引き取ったのは、「2月10日(金)」の明け方でした。

 

 夜中、夫の「トイレに行く」の声に起こされる。時計を見ると一時だった。


 夫がベッドから起き上がるのに手をかすものの、まったく起き上がれない。上半身を抱え起こそうとしたところ、やけに熱い。身体をガクガク震わせている。すぐに体温を測ると38度9分の熱。うわぁ、大変! すぐに訪問診療所に電話。たまたま担当医のA先生が当直していた。


「すぐに解熱剤を肛門に入れ、抗生剤も飲ましてください。これからそちらに向かいます」(中略)


 1時40分、A先生が到着し、あっという間に解熱剤を入れてくれて、一安心。血圧、酸素濃度、脈拍を測り、薬を処方。先生に手伝ってもらい、夫を仰向けに寝かしてもらう。


A先生が帰った後、

「お水を飲みますか」

と尋ねると、「うん」とうなずく。OSI(※経口補水液)を飲んでもらい、氷のかけらを口に入れる。しばらくすると、夫は落ち着きを取り戻し、深い眠りにおちていった。


――まさかこれが夫との最後のやりとりになるとは……

 (『ボケてもがんでも死ぬまで我が家』296~297ページ)

 

 奈保美さんは同書のエピローグで、「すべて病院にお任せではなく、自宅で順さんに寄り添いながら、できるだけ優しくありたい、順さんの望むことは百パーセント叶えてあげたい」と心から願っていましたが、それはことばで言うほど簡単ではありませんでした。


 奈保美さんは、ときに薄情になりそうな自分が顔を出すこともあるなかで、何よりも必要だったのは「愛情を培う努力」だったと述べています。


 認知症と食道がんという「病い」を生き切った順さん、夫をやさしく看取った奈保美さん――お二人の「愛情を培う時間」だったのです。

 

♣ エリザベス・キュブラー・ロスのことば 5

人々が人生を振り返ったときに抱く後悔の第1番目は、「人生を真剣に考えなければよかった」というものです。The number one regret people have when they look back on their lives is "I wish I had not taken life seriously.)

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