看護の自立をはばむもの
「残しておきたい7人のコラム」から、村松静子さんの「起業家ナースのつぶやき」を紹介しています。今回は『看護の自立をはばむもの その6:本当にこれでいいの?』です。

vol.44
看護の自立をはばむもの その6:本当にこれでいいの?
2007-7-28
最期は住み慣れた家で……と、在宅を推進し、これからもっと大事な時期に入る高齢大国わが日本。しかし一方で、訪問看護ステーションが次々に廃止届を提出している。
「いや、増えていますよ」って、本当? そんなことはあり得ない。看護師が看護の質にこだわって経営してきた開業ナースも「もう続かない」と諦めかけている。在宅医療推進の要は医療と福祉の狭間で動く看護師と言っても過言ではない。それぐらい、ナースの役割は大きい。とはいえ、24時間必要な時に駆けつけるというスタンスのもとに必死に続けてきたナースたちが在宅看護への取り組みをやめ、看護師という職業から離れていくとしたら、在宅での最期の看とりなど、夢の夢になってしまう。本当は、一工夫あるだけで彼女たちの思いは叶えられるのに……喰い止められるのに……なぜ食い止めないのか。なぜそんな事態が起こるのか。なぜそのまま放っておくのか。そう思いつつ言葉にしないでじっと耐えていた私だったが、もう我慢の限界。言いたいことは山ほどある。しかし、ぐっと耐えて1つだけ言おう(ナースの身勝手さ等課題もあるが、今回はこの点には触れない)。
その最大の理由は診療報酬の低さに加え、ただ1つ、「人員に関する基準:看護職員は、常勤換算で2.5人以上である」という事項がクリアできない点にある。収益をあげるまで、法人づくりからすべてを一人で行うことになる。どんなことで開業する場合でもそれはほぼ同じだが、バイトをしながら商品を考案し、製作して大量に売るのとは異なる。1件訪問して、交通費込みの素手で行う心身看護への対価収入のみである。自分の生活費と保険料、家賃、交通費に通信費、光熱費は必ず出て行く。それらが払えるようになって初めてスタッフを増やすことができるのだ。人件費が70%の訪問看護ステーションを独立して進めたいと願うナースに、最初から2.5人で始めろというのはあまりに酷な条件である。元金がなかったら、開業などすべきではないという人もいる。開業などと生意気なことを言わずに、雇われればいいじゃないかという人もいる。
プロとして、自ら行う看護の業を社会に開くことには意義がある。自律と責任を伴うが、喜びも伴う。看護の職人としての誇りがある。
フランスでは、私がこの世に誕生する2年前の1945年から「自由開業看護師」が誕生し、今では医師との連携を図りながら、高齢者を対象に、その力量を発揮している。
もちろん、何処の国でも、医師会からは、最初、看護師が開業するなんて……と総スカンを食ったという。しかし、この時勢にありながら、そんなことを言う医師はそれほど多くは居まい。私が開業する時に応援してくれたのは専門医だったのだから……。
この時勢だからこそ、開業ナースは、かかりつけ医や雑用に追われている専門医などを補佐することができると、私は確信している。
諸外国での開業ナースは、1つひとつの壁を乗り越え、確実に社会に認められてきた。
わが日本でも、もうそろそろ「開業看護師は可能かどうか」というプロジェクト調査を行い、「看護が開業するのは、実現可能である」との評価をいただいても良いのではないか。
いずれにしろ、このような事態を知って知らぬふりをしていられないのが、私の悪さであり良さでもある。20年以上、家族の協力を得ながら在宅看護の道を歩み続け、今年還暦を迎えた私にできることはあるのか。同年齢者は定年を迎え、のんびり生活を送っている人も多い。このままそっと手を引き、この道を外れる方が楽ではないか。自問自答の日々を送った結果、私の最後の仕事として行動を起こそうと決意した。とはいえ、「また大変な思いをするの? それはどうして?」と、もう一人の私が言っている。
とうとう一人開業を果たせなかった団塊世代の私がこれから行うことは、「ステーションの常勤換算はやっぱり5人じゃなきゃダメよ」と言っているその人の考えも汲んだ上で、開業したいというナースの意識を維持し、24時間365日その人に合った方法を極力生み出しながら最期まで支え抜く看護機能のシステムづくりである。


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