5年後の告知
「残しておきたい7人のコラム」から、から、安藤武士さんの「医師として、武士として」を紹介します。今回は『5年後の告知』です。

vol.22
5年後の告知
2005-12-2
小生のコラムには「思い出」が多い。"あす"の話が少ない。精神生活が停滞しているためであろう。詰まるところ、精神の老齢化のためといってよい。"とし"は昔ばなしを多くする。くどくする。「その話、聞きましたよ」と、相手がいっても、平然と話し続ける。
小生が、敬愛する故・司馬遼太郎氏は、著書「風塵抄」のなかで"カセット人間"になるまいと述べている。以下、氏の文章を要約する。無断掲載はお許しいただく。
「ほとんどの人は、永く生きたようなつもりでいながら、じつは語るに足るほどの体験は数件ほどもない。短編小説として搾りとれば、三篇もできあがらない。後は日常の連続で、習慣と条件反射で人は暮らすのである。娯楽のすくなかった江戸期の農村のひとびとも、四十になれば自分の過去のできごとをくりかえし語って、死んで灰になるまで、語りつづけたはずである。もっとも当時はのどかで、『また、長六どんの十八番(おはこ)がはじまった』と笑いながら、きいてくれたかもしれない。(略) 老人としてくりかえすが、一個の人生は、ヤマ場だけいえば、数個のカセット・テープでしかない。しかし、感受性がゆたかであれば、世界と社会ほどおもしろいものはない。きょう一日の新聞だけで、無数の劇場を提供してくれているのに、私どもは無感動でいるだけである。」
小生は、"カセット人間"になることをことのほか恐れる。司馬氏の教えに習い新聞を読み、本を開き、人と会い議論をし、自身の研鑽に励んでいる積もりである。
小生のコラムの「思い出」には、何時も何かしら枕話がついている。"カセット人間"ではないと"りきん"でいるのである。結局、枕話はつけたしでありコラムは「長六どんの十八番(おはこ)」になってしまっているのではないかと不安な気持ちでいる。"十八番"が"十八番"で終わらないために"十八番"に、むりやり「普遍性」らしき話を押し込んでいる。これも、司馬氏から教わったことである。
枕話は、これで終わる。以下の文章とは関係ない。本題に入る。主題は「告知」である。よかれと思って伝えた一言が、一人の女性の人生を激変させた話である。始める。
小生の大学時代の友人であるM君にまつわる話である。住まいも近く、互いにスポーツをやっていたこともあり、仲が良かったのかどうかわわからぬが始終会っていた。いつも、口角に泡を飛ばし書生論を戦わしていた。
M君が、卒業まじかに"女性"と暮らし始めた。小生も知る人で、"すばらしい"という表現がすべての女性であった。時折、二人のアパートに招かれた。卒業試験、インターン、国家試験、初期研修、関連病院勤務など、互いの環境の変化で連絡が途絶えた。M君は、勤務医の道を選んだ。小生は大学に腰をすえた。M君の女性が「子宮ガン」の手術を受けたことを知人からきいた。
数年後、M君が勤務している病院に短い期間であるが出張した。早速、M君と女性から食卓に招かれた。雪の降る日であった。炬燵に入り、昔話を酒の肴に花を咲かせた。二人の出会い、隠れた生活、M君も女性も以前より饒舌に時間をすごした。女性が手術を受けたことには触れなかった。
M君が、ピアノを習っているという。音楽とは無縁であったはずのM君の心境を尋ねた。女性の顔が曇った。空気が重くなった。話題を捜した。暫くして、M君が口を開いた。
今月で、手術を受けてから5年過ぎた。子宮筋腫と言っていたが、子宮頚ガンで、子宮、卵巣、リンパ節、付属組織を全部取る手術をした。転移はなかった。5年すぎるまで結果は分らないので、黙っていた。安心した。もう大丈夫だ。M君は興奮してしゃべった。女性に伝えたかったのか、自分が苦しさから開放されたかったためなのか分らなかった。
俗に5年経てばと安心と言われている。良かった。小生は、杯を手にし、女性に目をやった。女性に笑顔はなかった。顔はこわばり目を細くし一点を凝視していた。瞬きもしなかった。状況がつかめなかった。女性はかぼそく何かをささやいていた。次第にささやきが涙声になった。聞こえるようになった。
生めないの。もう、子供を生めないの。誰の子も生めないのね。同じことを、何度も、何度も、何度も繰り返すだけであった。安心した。良かった。M君も何度も同じ事を口にするだけだった。しかし、M君の言葉は女性に届いていなかった。
小生は、どのような状況でM君の家を離れたか記憶にない。雪降る中、数時間かけて帰宅したことだけは覚えている。女性の気持ちを、来る日も来る日も、繰り返し繰り返し考えた。数ヶ月後、大学に戻る時期がきた。M君の家での出来事は、次第に記憶から薄れていった。
10年程前になろうか。出身大学で祭事があり出席した。M君も出席していた。話しかけた。昔の人とは付き合わないことにしている。話しかけないでもらいたい。会話を拒絶された。
知人が、M君は"女性"と離婚し,ピアノの先生と家庭を持ち、子をなしていると教えてくれた。「告知」は、事実を告げるだけのものではないことを勉強した。「告知」は、弱者を作ることを勉強した。「告知」は、思いやる気持ちが欠かせないことを勉強した。
「告知」は、難しいことを勉強した。それを言いたかった。


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