漢字の日 「愛」
「残しておきたい7人のコラム」から、安藤武士さんの「医師として、武士として」を紹介します。今回は『漢字の日』です。

vol.23
漢字の日
2006-1-5
「愛」
12月12日は「漢字の日」であるという。(財)日本漢字能力検定協会が提唱し日本記念日協会が認定した記念日である。毎年「漢字の日」に「今年の漢字」が京都の清水寺で発表される。昨年の漢字は「愛」であった。全国から公募された8万5322通の内、4019通(4.71%)が「愛」であったという。過去10回は震、倒、毒、災など暗いイメージの字が殆どであった。新聞報道で知った。暗い話ばかりの今日であるが、何かしら「愛」を感じさせる出来事が多かったためなのか、反対に「愛」を渇望させる世相であったためなのかどちらかである。
「愛」という言葉について考えた。考えたといっても哲学的に思考した訳ではない。小生がいつごろ話題にした言葉なのか考えただけである。英語の講義であることを思い出した。今から40数年前である。「愛」にはloving- kindnessとloveがあり、前者は、おもいやり、親愛、情け、神の慈愛という意味で用ちいられる。後者は愛情、恋、恋愛という意味が濃く、「愛している」と口からでる「愛」は後者で、正確には「あなたを恋している」、「好きだ」というべきであるという。文字の「愛」は、「恋愛」や「恋」とは異趣の感を受ける。英語、米語はきめの細かさに欠ける感があるが、身体表現で補って目的を果たすという。以上は、英語の教授から講義で教えられた。
講義に用いられた教材は 、ウイリアム・サマーセット・モーム(William Somerset Maugham)が45歳のとき上梓した「月と六ペンス(The Moon and Sixpence)」である。放浪のすえタヒチで最後を迎えたフランスの画家、ゴーギャンの一生をモデルにした小説であることは、読者はすでにご存知じのことである。早速、世界文学全集(昭和40年、中央公論社発行)から中野好夫氏の訳になる「月と6ペンス」を開いた。
主人公は英国人チャールス・ストリックランド。仕事は株の仲買人。彼は、40歳で突然、平穏な家庭をすてパリで独り暮らしを始めた。ミセス・ストリックランドのエミイや周囲の人は、女性と駆け落ちしたと騒いだ。真相を知るため、作中、語り部として登場する作者のモームはパリに向かった。ストリックランドを探し出した。以下は、モームがストリックランドとパリで交わした会話である。
「ねえ、あなた、ぼくらをそうみくびるものじゃありませんよ。あなたがね、女の人と一緒に来ているくらいのことは、ちゃんと知ってますからね」
(略)
「ばかなやつだエミイてやつも」彼はにやりと笑った。だが、つぎの瞬間には、おそろしい冷笑に変わっていった。
「なんてけちな了見なんだろうねえ、女てやつは!愛だ。朝から晩まで愛だ。男が行ってしまえば、それはほかの女がほしいっからだと、そうしか考えられないんだからね、たかが女のためにやるなんて、ぼくをそんなばかな人間だと、きみ、考えているのかね?」
「じゃ、奥様を捨てておいでになったのは、女のためじゃないとおっしゃるんですか?」
「あたりまえさ」
(略)
「じゃ、いったいなんのために家出なんぞなすったんです?」
「絵が描きたいんだよ、ぼくは」
ぼくは、長いあいだ、じっと彼の顔を見つめていた。気が狂ったのではないかとも思った。念のために言っておくが、ぼくなどまだまだ若造で、ぼくの目からは、彼などりっぱな中年男に見えていたのだ。
「でも、もう40でしょう、あなたは?」
「だからこそ、いよいよやらなくちゃだめだ、と決心したんだ」
(略)
「ぼくは言っているじゃないか、描かないではいられないんだと。自分でどうにもならないんのだ。水に落ちた人間は、泳ぎがうまかろうとまずかろうと、そんなこと言っておられるか。なんとかして助からなければ、おぼれ死ねばかりだ」
語り部モームはイギリスに帰り、ミセス・ストリックランドに報告した。婦人との会話を記す。
「お目にかかりましたがね。どうやら、絶対におかえりにならないつもりですねえ」
そしてぼくは、ちょっと間をおいて、また言った。
「絵をお書きにないたいんだそうですよ、ご主人は」
「なんですって?」ミセス・ストリックランドはとび上がらんばかりの驚きようだった。
(略)
ミセス・ストリックランドは、静かに僕ら三人を顧みて、言った。
「いいえ、あの人は決して帰って来やしませんわ」
(略)
「わたしね、もしあの人がだれか女とでも行っているのなら、まだ望みもあると思っていたの。そんなことが長続きするはずないの。三月もすれば、あきあきしてたまらなくるにきまっているわよ。でも、恋愛じゃないとしたら、なにもかももうおしまいだわ」
(略)
「さあ、よく分りませんが。こうゆうことなのですか? 女のために奥様を捨てたというのなら許せるが、なにかある観念のために、そうしたというのは許せない、と。つまり、まえの場合ならば、奥様のほうにも打つ手があるが、もし後の場合ならば、なんとも手のうちようがないという」
ストリックランドは、「芸術の創造」を生きるための糧とし描き続け、タヒチで非業の最後を迎えた。捨てられた家族は、彼の「絵」で満たされた生活を送ることができた。小説の題名「月」は崇高なもの、「6ペンス」はとるに足らないものという意味に解されている。ストリックランドにとっては「芸術の創造」が崇高のもので、彼が捨て去った「愛」などはとるに足らないものなである。
小生は、人にとって大切なものは「愛」と言って間違いないと思うが、中年のストリックランドの「崇高を求める魂」に強烈な憧れを感ずる。小生も、まだやりたいことがある。もう「ストリックランド」になるのは無理なのだろうか。親しい友人に話したら、そうゆうことを「ないものねだり」と言うの、と軽くあしらわれた。

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