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母の手は石のように固くひび割れ、血が滲んで

 メッセンジャーナースの活動の紹介です。医療総合媒体の日経メディカルで、連載「患者と医師の認識ギャップ考」を展開していました。日経BPの了承が得られましたので、シリーズで掲載していきます。


 今回で第12回目です。渡邉八重子さん(メッセンジャーナース、松山赤十字看護専門学校副学校長)の記事で、テーマは『母の手は石のように固くひび割れ、血が滲んで』です(ご略歴などは執筆当時のものです。ご了承ください)。



母の手は石のように固くひび割れ、血が滲んで

私は医療者の思いや考えを押し付けていたのではないか


渡邉八重子(メッセンジャーナース、松山赤十字看護専門学校副学校長)

2017/03/01


 何かの拍子に触れたその母親の手のひらは、石のように固く、大きく細かくひび割れ、ガサガサで血が滲んでいた。はっとした。母親の身体も心も、魂までもが、痛そうだった。辛そうだった。苦しそうだった。私は、どんなに言葉を探してもたどり着けない心に触れた思いがした。


 11年前。A君は、2つ違いの兄を持つ次男として生まれた。3歳の誕生日を前に、母親の実家である東京へ里帰りの最中に、大通りの向こうにいる母親に向かって「ママ!!」と、嬉しそうに楽しそうに大声で呼びかけ、駆け寄り母の胸に飛び込もうとしたその瞬間、走ってくる車に数メートル飛ばされた。


 そう…、あの日、あの瞬間から…。


 私とA君、そして母親Bさんとの出会いは、私がM病院で小児科看護師長に勤務異動して直ぐだった。


 当時の小児科病棟の看護師達は、M病院が県下小児医療の基幹医療を担っていたこともあり、(小児科勤務は初めてといっても、自分でいうのも何だが看護師長として3カ所を経験した中堅看護師長からみて)それは素晴らしい小児看護のエキスパートナース軍団だった。


 外来で、身体を弓なりにそらし息ができずに真っ青、いや真っ黒になって苦悶し、けいれんする子どもと、その子を強く抱きしめて、ただただ助けを求め泣き叫ぶ母親。その二人を、真綿で包むように温め安堵させていく様。


 病棟で、「お願い!!もう一回だけ息をして…。お願い、お願い…」と、死にゆくわが子に迫り泣き叫ぶ母親と、妻の肩を抱き溢れる涙と嗚咽する父親。愛おしい孫の早すぎる死と、わが子を失うという非情の苦しみの渦中にいる我が娘と我が息子に、声をしのばせすすり泣く祖父母。そんな家族を全身全霊で癒やしケアする様。私は、ここで、このような素晴らしい看護師と共に看護できることを本当に幸せと感じていた。


 医師らの精一杯の治療によりA君は一命をとりとめた。しかし、意識は十分に回復せぬまま自宅での療養を続けることとなった。


 その小児科エキスパートナース達が、そっと、私にささやいた。「A君のお母さんは、A君が事故にあったあの日から一度も、お布団で寝たことがないようです。もう11年が経とうとしていますが、家でも、一晩中A君が眠っているベッドサイドに腰掛け、A君の手を握ったままのようです。まだ自分が許せないでいるのでしょうか」。


 ナースは続けて、「私は、A君に尋ねてみるのです。『ねぇA君。お家に小学校や中学校の先生も来てくれたよね。言葉も覚えたし、先生の歌やギターも聴いたよね。私には、一緒に歌っていたようにも見えたよ。人工呼吸器持参で、主治医のE先生や受け持ち看護師Cさんと一緒に動物園にも行ったよね。『いつまでもAちゃんではおかしいから、A君と呼ぼう』と言い出したのもCさんだったよね。今、14歳。顔にはニキビが出てきて、おひげだって少し濃くなってきて、そろそろ思春期・反抗期ですよね。もしかしたら、君は『お兄ちゃん、お母さんを独り占めにしてごめん』『お母さん!ありがとう。もう時々は、その手を放してくれないか』と思っているのでは」と。


 私自身も、看護師達の言うとおり、母親は、もう十分に自分を責めたのだから、もう自分を許し、もう少しご主人やご両親に甘えたり、利用できるサービスも活用したりしてもよいのではないかと考えるようになっていた。でも、そのような看護師の思いや考えは、母親にはどうしても受け入れてもらえなかった。


母親の心は固く閉ざされたままで


 A君は、自宅で生活をしながら、夏は脱水で、気温の下がる冬には呼吸器感染で入院する。その時々に、私たちは、母親の心を何とか温め溶かしたいと思い、A君と母親に語りかけてきた。しかし、母親の心は固く閉ざされたままでいた。


 そんなある日の夕方。A君の調子が悪いので入院という連絡があった。久しぶりのA君の入院ではあったが、私は、A君の容態以上に、母親のこれまでにない疲れ痩せ果てた様子に、ただ事でない気配を感じた。診察時間を過ぎた内科外来に連絡し、無理に診察をお願いし、嫌がる母親を「A君を看るんでしょ」を脅し言葉にして連れていった。


 血糖値800以上。小児科に入院するA君のベッドの隣に、入院を拒否する母親の内科ベッドを準備し治療を開始した。「意識はあるの」「言っていることは聞こえるの」「A君は隣よ」…。


 「母親の心を癒やせず、身体がこんなになるまで放っておいた私は、看護師なのか」。冒頭に記した姿が、このときの母親だった。悔やんでも悔やみきれない感情に襲われた。看護師失格!!。


 看護とは何か。今、看護の本質を見失いかけている自分を自覚した。


 多くの障害者制度やサービスが利用できる時代となってきた。「利用すれば、楽になるよ」と勧めることもできる時代になってきた。それを知る私は、家族に当たり前にように、サービスを紹介し利用することを勧める。


 「A君のために、母親のために」と、私は、私の独り善がりで、「A君のために手を離せ」「貴女は大変でしょ。A君をデイサービスにお預けして、お母さん、たまにはゆっくりして」と、「語りかけてきた『つもり』」になっていた。母親の行動と、母親の言葉にならない溢れんばかりの感情を感じとり、結び付けそこに秘められた意味を探索することなく、いつの間にか、看護を「医療者である自分の思いや考えを与える、押し付ける」ことと勘違いしているのかもしれない。


 A君が、自分自身で自分らしくどう生きるかを選択し、A君の母親が、自分で自分らしくどう生きるのかを選択する。A君の父親は、自分で自分らしくどう生きるのかを選択する。A君の兄もまた、自分自身で自分らしくどう生きるのかを選択する。そして誰もが、自分らしい生を全うする治療・生き方の選択に悩み苦しみ葛藤している……。


 『メッセンジャーナース』の先達は言う。「その葛藤をありのままに認め、今の私や、たとえ私が尊敬してやまない小児科のエキスパートナースであっても『医療者としての自分の思いや考えを与える・押し付ける』ことのある医療者との認識のズレを正し、患者・家族と医療者等との懸け橋になるのよ。対話でね。一生懸命にね」と……。


 メッセンジャーナースとは、「医療の受け手が自分らしい生を全うする治療・生き方を選択する際に、心理的内面の葛藤を認め、認識のズレを正す対話を重視する懸け橋」を担う。


 医師は、A君の母親に糖尿外来で継続治療が必要と告げる。母親の、自分の生ある限り、A君の手は離さないという生き方の選択と大きな葛藤。その彼女に、新たな葛藤。メッセンジャーナースとして未熟な私は、その治療・療養が必要であると同意し、「看護」と称し「勘違いの医療者としての思いや考え」を与え・押し付けようとする。


 A君、そして今日もA君の意識に語りかけて懸命にA君の子育てに励むその母に、改めて願い誓う。「彼女の葛藤に近づきたい。対話を重ねたい。そしてその葛藤を認め、医療者との架け橋になりたい」。


 「生まれる」は「生きる」と知る。看護者として「生まれた喜び」は、看護者とし「生きる喜び」と知る。誰かの「メッセンジャーナース」になれるよう研鑽を続けていきたい。


■著者紹介

渡邉 八重子(わたなべ やえこ)

松山赤十字病院卒業後、松山赤十字病院で看護実践・管理を松山赤十字看護専門学校で看護師養成を担う。その経過のなかで、患者・家族は、地域・在宅で療養生活を切望していると感じると同時に、それには多くの不自由・困難・苦痛があることを痛感した。『地域の一人ひとりがその人らしく生きる療養の(ふる)里』を目指し、「地域医療連携を考える会」を発足。「病院と在宅看護・介護の合同研修会」を継続、また「療養支援ナース」としエキスパートナースを病棟に配属したまま一人ひとりの患者の療養支援を担う仕組みの整備、「地域看護チーム」「地域医療福祉チーム」としての活動、さらに住民と共に地域が一体となった活動などを積極的・創造的に取り組んできた。現在は、将来の看護・地域さらには社会を創造し担うであろう桜の苗木のような看護学生が勉学に励む、母校の副学校長を務める。


日経メディカル Online 2017年3月1日掲載

日経BPの了承を得て掲載しています

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