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患者の思いは聞くも医師と向き合わなかった私

 連載「患者と医師の認識ギャップ考」の29回目です。赤瀬佳代さん患者の思いは聞くも医師と向き合わなかった私のテーマで認識ギャップについて執筆しています(ご略歴などは執筆当時のものです。ご了承ください)。

左尿管癌・腎不全で透析治療を行う80歳代のAさん

患者の思いは聞くも医師と向き合わなかった私


赤瀬 佳代(合同会社岡山在宅看護センター晴代表)

2018/06/04


 ある日のこと。訪問看護で担当になったばかりのAさんの娘さんから、1本の電話が入った。


 「本人が判断することが難しい状況になったら症状の管理を中心に対応をしてもらいたい、もう透析はしなくてもよいと思い、もともと癌治療でかかっていた緩和ケア病棟のある病院に転院をお願いしたら、透析の先生から『医師の倫理上の判断から、透析しないと分かっている病院に転院をさせることはできない。緩和ケアの医師に相談しながら、自院で症状管理をします』と言われました。ということは、死ぬまで透析をすると言うことですよね……。透析を続けてほしいとは思っていなかったのですが、どう考えたらいいのでしょうか」。


 Aさんは、左尿管癌・腎不全で、透析治療を行っている80歳代後半の男性だった。Aさんの訪問看護の依頼が病院の緩和ケア外来の看護師からあったのは、冒頭の電話のわずか10日前のこと。外来看護師によると、Aさんは最近、痛みが強く、麻薬が処方されているが、痛いからと飲み過ぎてしまい薬が不足するなど薬の管理ができていない。同居家族は難聴のある高齢の妻のみ。県外に娘さんがおり、時々帰省されている。正月は娘さんが一緒に暮らしておられるようだが、不在時には、高齢夫妻での在宅療養には限界もあり、訪問看護が導入されることになった。


「病院は寂しいから家にいたい」


 Aさんは岡山市生まれ。戦時中は飛行機部隊員で、終戦後は教員をしていた。退職した後は自営業を営み、70歳代まで仕事をしていた。1年前に左尿管癌と診断されて全摘手術を行い、その後、急性腎不全になり透析治療を行っていた。


 初回訪問時、Aさんは「膀胱に7~8cmくらいの腫瘍があるみたいで、急激に痛みがひどくなっている。病院は寂しいから家にいたい」と話をされた。


 妻は「入院をさせてもらわないと、家では看きれない。娘がいる時はいいけど、自分ではどうにもならない」と言われた。娘さんは、Aさんがおられないところで、「あと、どのくらいの寿命というようなことは言われていないが、かなり悪い状態であるとは聞いている。母は看ることができないと言うけど、父は家に居たいと言うので、この年末年始は自分が岡山にいる。正月明けに受診してそこで治療の方向性が定まると思うので、それからどうするか考えたい」と希望された。


 そこで、年末年始を家で過ごすことができるように支援体制を整えた。この間、痛みがありながらも、孫・曾孫の帰省もあり、家族で穏やかな時間を過ごすことができていた。


 ところが、1月1日の透析から帰宅したばかりのところに訪問すると、疲労感が強く眠っており、顔色が悪い。トイレまで歩いていくにもしんどさを訴え、Aさんは「こんなに迷惑をかけるようになってしまったので入院した方がいい。あとどのくらい生きられるかはっきりと言ってほしい」と話された。妻も夫の入院を希望された。


 1月2日に娘さんより、「昨日は入院をさせた方がいいと思っていたが、家族みんなで話したところ、入院したら気落ちしてそのまますぐに死んでしまうのではないかと思う。話はできるし、やはりもう少し頑張りたい」と希望された。そこで、正月の間、本人・家族と在宅療養の継続か入院か、入院をするなら透析を優先させるか症状管理を優先するか、様々な話し合いをしながら過ごされた。


 1月4日朝に娘さんから電話相談があり、「少し意識がはっきりしない状態を繰り返している。今日は透析があるのだが、この状態で透析ができるかどうか、専門職の方に判断してほしい」との依頼があり、私が自宅を訪問した。


 Aさんは、意思表示は可能なものの数日前と比べても体力が落ちており、「もう家族に迷惑をかけたくないから、どこでもいいので入院させてほしい」と希望された。私は、透析をどうするかで入院の受け入れ先が変わることを伝えた。すると「あなたに決めてほしい」と言い、それ以上は話されなかった。


 娘と息子は「本人の意識がしっかりとしている間は透析をしてあげたい。意識がなくなれば何もしないという選択肢もありだが、今日の透析をしてもらってその様子をみて決めたい」と話された。


 そこで、癌治療を担当してきた緩和ケア病棟のある病院に、透析を含めての入院の可否について相談した。すると、透析をしている以上、入院の受け入れは難しいとの返事。ただし、透析をしてくれる医院に入院をして、その後に、透析が難しくなってからの転院であれば可能とのことだった。


 娘さんにその見解を伝えると、透析後の疲労感が強いこともあり、今日は医院で透析をして、そのまま入院をさせてもらい、透析が難しい状況になったら緩和ケア病棟に転院をさせてほしい、と希望された。


 その後、これまで長く関わっていたこの医院付設のケアマネージャーに相談。「透析もかなりギリギリの状況で行っており、医師にも話をして、透析の可否について判断をしてもらう。早々に転院になる可能性もある」との話だった。


死ぬまで透析をすることになると危惧


 冒頭の一本の電話が入ったのは、その日の夕方だった。


 医師の見解は、「病院に転院をさせることはできない。緩和ケアの医師に相談しながら、自院で症状管理をする」だった。これに対し、娘さんは、死ぬまで透析をすることになると危惧し、相談してきたのだった。


 私は、まさか、そのような判断がなされるとは思わず、電話の内容に絶句してしまった。しばらくの沈黙の後、娘さんは「とりあえずは、本人も入院したい思いがあり、透析もしてもらったので、一両日様子を見ようと思います。そこから、看ていてあまりしんどそうであれば、家族が強硬に転院をすすめることはしてもよいのでしょうか」と質問があった。最終的な決定は、本人・家族の意思によるため、駄目ということはないと思うと回答。まずは、少し経過をみて、判断をしましょうと伝えた。


 翌日、娘さんから電話があり、「透析に行ってきました。痛み止めのせいか、うつらうつらしていました。母も、もう動かすのも忍びないと言うので、このまま看てもらいます。もう先は長くなさそうです。訪問看護の際には良くしてもらい、いろいろと考えていただいて助かりました、何かあればまた連絡します」と言われ電話を終えた。なんだか後味の悪い思いが残った。


 2月中旬にケアマネジャーから一通の手紙が届き、Aさんが1月中旬に医院で亡くなられたことを知った。その手紙には、入院中に語られたAさんの思いが綴られていた。


 Aさんは、癌を患い手術をしたことを後悔していた。今回、再発の告知を受けて受け入れてはいたが、「癌性疼痛の激しさは想像以上だった」という。医療用麻薬が処方されたことで痛みが緩和し、「呼吸ができて幸せだ」とも書いている。そして、自宅で1日でも長く過ごすことができたのは、「幸せな時間だった。最愛のおばあちゃん、優しい娘がいてくれた」と語っていた。しかし「透析は嫌だけど、こればっかりはしないわけにはいかない。だけど、透析はしたくないって、毎回針を刺されるたびに思う。死んだ方がましなんじゃないかと。早くお迎えが来るように拝んでいるんだ」とも語っていた。


 訪問看護への感謝を語ってくれていたことはうれしく思いつつも、入院をされた後も、このような思いだったことを知り、そこにずっと寄り添っていてくれたケアマネージャーの存在に救われる思いだった。そして、きっとご家族も苦しんでいるはずと思い、読み終えた後、電話の受話器をとっていた。


 電話の向こうで娘さんは、「やはり途中で透析はつらそうで、何度か医師に緩和ケア病棟への転院をお願いした。しかし、動かせないと言われ、最期まで透析を行った。何だか複雑な思いです」と話された。翌日に弔問に伺った私に、「最期の日まで普通に話をしていた。透析については、家族内でも最後まで決めかねる思いがあった。本人には苦しい思いをさせたようにも思う。もう少し生きてくれるのではないかという思いもあった」と話された。妻は、「皆よく頑張った」と穏やかなお顔で、「また、自分の時にはお願いね」とも話してくれた。


 今も後悔が残るのは、しっかりと本人と家族の思いを聞きながら関わったつもりでいたが、私が医師と向き合っていなかったことだ。


 娘さんは、お父さんのために、医師に言いにくいこともしっかりとぶつけていた。私は、その後押しを間接的ながら行うことはできていたのだろうとは思うが、今振り返ってみると、私はAさんのことを医師とは全く話し合っていなかった。


 結果は同じだったかもしれない。それでも、医師と患者の懸け橋の役割を担うメッセンジャーナースである私は、医師に一緒に考えてもらうきっかけを、自ら作ることができていればよかったと思う。私は訪問看護師として対応をしていた。おそらく、娘さんとしては入院をしてしまったからには、これ以上迷惑はかけられないと思ったかもしれない。


 冒頭の電話での相談があった日と、翌日に娘さんから電話をもらった際に、「何かあればまた連絡します」と言った娘さんに、一言メッセンジャーナースとしてできること(医師に、Aさんと家族が大切にしたいことを一緒に伝えること)を伝えていれば、その後の家族の苦しみに一緒に寄り添うことができていたのではないかと思う。


 「何かあったら」ではなく、「今のその状況を一緒に考えましょう」と声を掛けることができていればよかった。私に医師との懸け橋になってほしいと思ってもらうことができていれば、娘さんは1人で抱えずに済んだと思う。改めて、医師と患者の間で思いをつないで紡いでいくことの難しさも感じつつ、これからも逃げずに向き合っていきたいと思う。そして、メッセンジャーナースの存在と、メッセンジャーナースができることをもっと発信していかなければならないと思う。



■著者紹介

赤瀬 佳代 (あかせ かよ)

合同会社岡山在宅看護センター晴(はる)代表社員。がんセンター・有床診療所での勤務経験を重ねる中で、がん性疼痛看護認定看護師・メッセンジャーナースの資格を取得。2015年3月に合同会社岡山在宅看護センター晴設立し、訪問看護ステーションの運営と実践をしながら、岡山でのメッセンジャーナースの育成を行っている。


日経メディカル Online 2018年6月4日掲載

日経BPの了承を得て掲載しています。

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