top of page

子どもは自分の顔のことでいじめに遭わないか

更新日:2025年10月25日

 連載「患者と医師の認識ギャップ考」の30回目です。田畑千穂子さんが「子どもは自分の顔のことでいじめに遭わないか」のテーマで認識ギャップについて執筆しています(ご略歴などは執筆当時のものです。ご了承ください)。

2度の再発と3回の肺転移を克服した口腔癌患者

子どもは自分の顔のことでいじめに遭わないか

患者の想いに真摯に向き合うためには


田畑 千穂子(公益社団法人鹿児島県看護協会)

2018/07/03


「やはり癌か……」。告知の際、こう発したAさんは、「手術では顎が残るのか」「食べられるのか、話せるのか」「子どもは自分の顔のことでいじめに遭わないか」「命はあとどれぐらいだろうか」「お金がかかるのだろうか」などと矢継ぎ早に質問しました。私たち医療チームは、その質問のもとにある想いを受け止め、真摯に向き合うことを決意したのでした。


 癌治療を終え、命がつながれたとしても、その人の外観が大きく損なわれて尊厳に関わる問題を生むものに「口腔癌」があります。口腔は新陳代謝が盛んで血管に富み、頸部の大きな血管の近くにあります。口腔癌は、他の癌よりも転移が早く、1カ月ほどで局所からリンパ節までの転移するといわれます。


 今回、紹介するAさんは、30歳代という若さで進行口腔癌と診断され、2度の再発と3回の肺転移を克服されて、見事に社会復帰された方です。奇跡ともいえるその過程には、医療者の想像を超えた戦いがあったと推測されます。また、闘病の間、何度となく入退院を繰り返しながらも、職場では病状に合わせた配置転換など、上司の理解や支援も大きかったのです。Aさんの奥さんは「最近、治療と仕事の『両立支援』といわれるようになっていますけど、主人の職場は10年以上も前から両立支援でしたね。本当に感謝しています」と話していました。そして、最も気になっていた子どもさんのことを尋ねると、父親参観日に行けたこと、子どもたちが喜んでくれたことなども目を細めて語ってくれました。


 Aさんとの最初の出会いは、私が歯科病棟で看護師長を務めていたときでした。Aさんが組織検査で口腔癌と診断され、入院が決まったころです。


 歯科医師から「Aさんという若くて、進行癌の患者さんがいるのだけれど、当院で治療を引き受けていいのか分からない。治療は東京のがんセンターに任せたいのだけど……」との相談がありました。歯科医師同様、東京で治療を受けてほしいと考えた私は、インフォームドコンセントに何度も同席し、あれこれと動きました。そして、セカンドオピニオン目的で国立がんセンターを受診して、Aさん自身に選んでもらうこととなりました。


 この間、私たちは、インターネットで集めた癌治療に関する情報をはじめ、Aさんから求められる情報を提供し続けました。東京まで出かけたAさんは最終的に、「自分のことをこんなに考えてくれる先生や看護師さんのそばで治療を受けたい。皆さんにお願いしたい」と、当院を選ばれました。医療チームとしては、命を預けられた驚きと嬉しさを感じつつ、ただただ、Aさんに真摯に向き合うことを決意した記憶があります。


 その後Aさんは、口腔癌の根治術、再建術、化学療法、口腔底への再発、肺への転移と、次々と襲い掛かる試練を一つひとつ乗り越えていきました。Aさんは、病人にはなりたくないと、入院中でも私服で過ごし、時間があれば、病院敷地内をいつも歩いていました。次々と再発に襲われても、医師の説明にうなずき、ある意味では「手がかからない患者」となっておりました。だからこそ、私たちは丁寧な説明を心掛け、余命を含めた可能性もありのままに伝えていました。その傍らに常に、諦めない強い気持ちでAさんを支えていた妻は、笑顔で「子どもたちのために、生きてもらいます。死ねませんよ」と話すのでした。


 Aさんが肺転移の手術を終え、病状が落ち着いて5年が経過したころです。医学部保健学科の教官から「医師のチーム医療の研修として癌患者さんの語りを企画しているのだけれど、どなたか紹介してくださいませんか」と特別講師の依頼がありました。Aさんならその期待に応えられると思いお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。


 Aさんのお話は、舌の部分切除や再建術の後遺症から言葉が聞き取りにくく、また顎補綴(一般の義歯に加え上顎の空洞を埋めるコブがついている口腔癌患者の特別な義歯)による声もれもありましたが、研修会場の医学生たちはシーンとし、真剣に聞き入ってくれました。


 Aさんの語りで、最も印象に残ったのが告知の場面でした。冒頭でも紹介したように、歯科医師の説明に対し、Aさんは「やはり癌か……」と発しました。そして矢継ぎ早に、「どこまで進んでいるのか、手術では顎が残るのか、舌をどれほど切除するのか」「食べられるか、傷はどのように顔に残るのか、話せるのか、伝わるか、言葉を失うのか」「顔面神経の麻痺は酷いのか、子どもは自分の顔のことでいじめに遭わないか」「抗癌剤の治療もあるのだろう、再発したらどうしよう、1回の手術で切除できるのか」「命はあとどれぐらいだろうか、会社の休みは有給で大丈夫だろうか、癌の治療にはどれぐらいお金がかかるのだろうか」などと質問したのでした。


 命を優先した術式では、大きな顔貌の変化や重度の嚥下障害の出現が予想されました。切除範囲は、私もこれまで経験したことのない下顎の正中を超えた大手術の予定でした。 


 医療者であっても、口腔癌術後患者の後遺症を説明することは難しく、インフォームドコンセントの困難さを痛感したものでした。そこで私は、Aさんの病室を、相談しやすい口腔癌患者さんがいる部屋としました。また、50歳代の男性で、嚥下訓練を実施するなど闘病に前向きな方の隣に、Aさんのベッドを配置しました。


 家族との時間を大事にしていたAさんは、週末は必ず、大好きなバイクで自宅に戻りました。手術前日もぎりぎりまで自宅で過ごし、家族と夕食を楽しんでいました。「最後の晩餐、美味しい肉を食べてきた」と、消灯直前に病院に戻ってきたこともあります。もちろん、笑顔で。


 語りの中でAさんが、癌治療の受け止め方や家族の後遺症の受け止め方などに触れたとき、私は、医療者がどれほどの想像の翼を広げても思い至らない患者・家族の想いと、当時感じていたAさんの強い覚悟を思い出しました。


 講演の最後、Aさんは「皆さん、どうか、勉強に励んで、いい医師になって、僕を助けてください」と締めくくりました。医学生を対象とした特別講師の役割は、現在も続いていて、これまでに500人を超える医学生が聴講したこととなります。Aさんに、もしものことがあったら、医師となった彼らが最善を尽くしてくれることを期待せずにはいられません。



■著者紹介

田畑 千穂子(たばた ちほこ)

奈良県立医科大学附属看護専門学校卒。2015年3月鹿児島大学医学部保健学科博士課程前期卒業。奈良県立医科大学附属病院、鹿児島大学医学部・歯学部附属病院(看護部副看護部長)を経て、現在、鹿児島県看護協会の会長を務める。著書は「クリニカルパスで機能するセイフティマネージメントとチーム医療」(医歯薬出版、2004)、「認め合うことがチーム医療のはじまり」(デンタルハイジーン、2007)、「Gargling and the Elderly」Manual For oral care」(Japanese Society of Oral Care、2011)など多数。


日経メディカル Online 2018年7月3日掲載

日経BPの了承を得て掲載しています。

コメント


記事: Blog2 Post

▶当会における「プライバシーポリシー」について
*当協会が個人情報を共有する際には、適正かつ公正な手段によって個人情報を取得し、利用目的を「事例」に特定し、明確化しています。
*個人情報を認定協会の関係者間で共同利用する場合には、個人情報の適正な利用を実現するための監督を行います。
*掲載事例の無断転載を禁じます。

▶サイト運営:全国メッセンジャーナースの会(東京都新宿区) ▶制作支援:mamoru segawa

©2022 by メッセンジャーナース。Wix.com で作成されました。

bottom of page