自分にはもう胃が全部ないというじゃないか
- mamoru segawa
- 6月14日
- 読了時間: 5分
連載「患者と医師の認識ギャップ考」の第14回目です。村中知栄子さん(一般社団法人菊池郡市医師会立病院総看護部長)が、『自分にはもう胃が全部ないというじゃないか』のテーマで認識ギャップについて執筆しています(ご略歴などは執筆当時のものです。ご了承ください)。
本当の話を聞いた患者の怒りはどこへ
自分にはもう胃が全部ないというじゃないか
村中 知栄子(一般社団法人菊池郡市医師会立病院総看護部長)
2017/05/01
もう、随分以前の出来事ですが、ことあるごとに思い出される場面・出会いがありました。患者のA氏は、膵頭部癌で広範囲の手術を余儀なくされ、8時間以上に及ぶ大手術を受けました。
当時、外来婦長だった私を見つけては「不調だ、不調だ」と言っていました。外来ステーションの窓口に顔を出して、いつも同じことを繰り返し、愚痴をこぼすような雰囲気で、とにかく話を聞いて欲しいというのです。
ある日、A氏は診察後にやってきて、怒りをあらわにし「今日、本当の話を聞いた」と話し始めました。
自分は、手術前も後も、胃を半分切ったと聞いていたので、退院後は早く体力を戻したいと頑張った。食事も少量ずつ栄養のバランスも考えて、しっかりと摂らなければと思い頑張った。運動もして身体に良いことは、とにかく挑戦したいと考えてアレコレやった。婦長さん! ところがどうだ? 自分にはもう胃は全部ないというじゃないか!
おまけに膵臓も肝臓も……。腹の中は空っぽというじゃないですか。そんなこと、夢にも考えないから、一生懸命手術後のリハビリを頑張った自分は何だったのか? 本当のことを知っていたなら、もっと手術後はそれなりに用心したはず。どうりでおかしいと思ったら、こんなことだったとは……。未だに信じられんし、怒りをどこにぶつけていいか分からん……。
ひとしきり怒りをぶつけられた後、家族には全部話してあったそうだと、悔しい胸の内を話し続けられました。
A氏は、退院後、調子が少しも良くならないことに徐々に疑問を抱き、定期受診の度にその疑問を担当医師にぶつけていたようです。でも、担当医師からは何時も「大丈夫」の一言で終わっていたと。
この怒りを聞いた後の定期受診日の時だったと思うのですが、体重もどんどん減り、やせ細ったA氏のイライラは表情に表れ、険しい顔つきとなり、いつしか笑顔も消えていました。
診察後、A氏が診察室を出られたのを見計らい、私は担当医師に彼の怒りを聞いた話しに行きました。すると「婦長は僕に何が言いたいのか?」との返事でした。続けて、「医師は、一人ひとりの患者の人生にまで付き合っていたら治療なんか何もできはしない。君はそれでも医療者か?」と怒りに満ちた表情で話されたのです。外来の診察室ではありましたが、収まりが尽かないようでした。
私は、「A氏は自分の苦しい胸の内を先生に聞いて欲しいだけだと思う」と伝えました。結局、互いに感情的になってしまい、我に返った時には、待合室の患者さんに聞こえてしまったのではと、うろたえたことを覚えています。
結局、担当医師は怒りが収まらず、外来の診察室から別室に移って話し合いました。
別室での話し合いは、お互い直立不動の棒立ち状態でした。私は、担当医師の握りこぶしが両脇で震えていたのを忘れられません。A氏の思いを伝えたく、まずは感情的になったことを謝罪し、座ってお話しさせていただくようお願いしました。
その場では、自分がこれまでに受け止めた内容を、心して静かに伝えたいと思ったことを覚えています。私が伝えたかったのは、(1)A氏は現実を直視できていると考えられる、(2)先生に「大丈夫」と今なお言われることに合点がいかない様子だった、(3)先生を責めておられる様子でもなく、大きな病気だったにもかかわらず手術が成功していることに感謝しておられるような言動を聞く機会がふえてきた、(4)事前に本当のことを自分に言ってほしかったと言う胸の内を聞いてほしい。今は、ただその一心のようである――の4点です。
当時は、家族の意思を尊重して、患者さんに本当のことを言わずにいたこともありました。しかし、A氏のように理性的な判断ができ、自分の健康管理に積極的な人の場合は、患者本人の意思を尊重することが必要です。なぜ、ご家族がA氏に事実を話さないという決意をされたのか? 私にはその真実を知ることはできませんでした。
担当医師は家族からA氏の気性なども聞き、家族の意向を尊重されたようでした。私との議論を機に、手術後の様々な現実の変化、つまり術後の回復に納得ができない身体の変化を実感することに、当事者としてのA氏がどのように立ち向かえるかの議論をインフォームドコンセントのなかで行う必要性を感じられたようです。
A氏はその後、紹介医のホームドクターに通院されることになりました。
癌の治療法も以前より進み、5年生存率も高くなったと思われます。生きながらえることもさることながら、人生の末期も癌の末期も、どちらも自分なりに納得できる生き方を最優先にすべきだと、この事例を振り返りながら改めて確信のようなもの覚えます。
A氏は、「日常の生活の営みを少しでも早く取り戻したい」という一心で頑張っていたのです。それなのに、入院前も、入院時も、A氏は自分の身に起こっている事実を知り得る機会が無かった。術後も、何も知らずに外来診療に通っていたのです。なんて無責任な話だろうと今でも思います。
癌の治療法は、現在も積極的な治療の効果がなくなると、次の施設へ転院して対症療法を受けるというのが実態です。患者さん本人が納得して転院していくのであれば問題はないと思いますが、果たしてそうなのでしょうか。そこに看護師がいかに関わるかが重要であり、メッセンジャーナースの懸け橋的役割発揮が期待されていると改めて実感しているところです。
■著者紹介

村中知栄子(むらなか ちえこ)
聖母慈恵看護学校専攻科卒業。熊本地域医センターにて主任、師長を経験。江南病院の療養病棟師長として就職し、看護部長として10年余り活動した。定年退職を間近に控えた2011年3月に東日本大震災に見舞われた。退職後の6月に、被災地福島に被災者のためのセカンドハウスである「こらんしょ」の立ち上げにかかわる。ここでの被災者の方々との出会いも、今を生きる大きな力となっている。
日経メディカル Online 2017年5月1日掲載
日経BPの了承を得て掲載しています。
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