健康ジャーナリスト 原山建郎の連載コラム
- mamoru segawa

- 7月25日
- 読了時間: 2分
更新日:7月29日
しばらくお休みしていた原山建郎の連載コラム「つたえること・つたわるもの」を、5カ月ぶりに再開します。 今回のテーマは「〈ゆるし〉のちから」―三浦綾子/「誰にも人生の踏絵がある」―遠藤周作、です。

今回のコラム№194は、昨年までの数年間、やはり文教大学オープン・ユニバーシティで講じた『遠藤周作子の「病い」と「神さま」』講座と、今回の『三浦綾子の「病い」と「神さま」』講座(今月末に最終回となる)に共通する重要なテーマ、〈西欧から伝えられ、日本の宗教風土で発芽した「ひと粒の麦」――キリスト教の「実生化」〉について考えてみました。「実生化」というキーワードは、桜美林大学准教授、長谷川(間瀬)恵美さんの研究論文「遠藤周作とキリスト教の実生化」からヒントを得ました。
三浦綾子さんが『氷点』『続氷点』で、主人公である陽子に〈今、「ゆるし」がほしのです。私の血の中を流れる罪を、ハッキリと「ゆるす」と言ってくれる権威あるものがほしい。〉と言わせた魂の叫びも、そして、遠藤さんが〈ダブダブの洋服(西洋から伝えられたキリスト教)を日本人の身丈に合った和服(日本人が共感を持って受け入れるキリスト教)に仕立て直す〉という思いで書いた小説である『沈黙』も、ともに日本における「キリスト教の実生化」であると思います。そして、日本を代表するキリスト教作家、三浦さん、遠藤さんが蒔いた「一粒の麦」は、その作品を読む私たちの歴史的身体(からだとこころを形づくる精神の土壌)にポトリと落ちて芽を吹き、やがて小さな実を結ぶのだと思います。
★一度は死を選んだ陽子に訪れる――たましいの再生と「ゆるし」――「慰め」のものがたり。★「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。」――「沈黙の声」
「つたえること・つたわるもの」№194の詳細は☞ ダウンロード - 194.pdf
お時間のあるときにお読みください。
☆原山建郎☆出版ジャーナリスト、健康ジャーナリスト、日本東方医学会学術委員、日本文藝家協会会員、武蔵野大学仏教文化研究所客員研究員、文教大学オープン・ユニバーシティ講師、元武蔵野大学・玉川大学・龍谷大学・文教大学非常勤講師








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