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「遠藤周作」からだ番記者

更新日:7 時間前

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をシリーズでお届けいたします。


プロローグ


☆「遠藤周作」からだ番記者


 遠藤周作さんに初めてお目にかかったのは、1968年12月某日のことです。


 その4カ月前、婦人雑誌『主婦の友』編集部読物課に配属されたばかりの私は、先輩記者である関口昇さんに連れられて、東京・町田市玉川学園の高台にある遠藤さんのご自宅に、年末のご挨拶にうかがいました。


 関口さんはその5年前、『主婦の友』1963年新年号から1年間、遠藤さんの連載小説『わたしが・棄てた・女』を担当した「遠藤周作」小説番記者であり、遠藤さんが座長をつとめる素人劇団「樹座」の座員でもあって、お二人は楽しそうに話しておられました。


 しかし、駆け出し新前記者は、緊張しながら名刺を差し出して、「編集部に配属された原山と申します」と挨拶するのが精いっぱい。「ひょろっと背の高い作家だな」が、高名な芥川賞作家・遠藤さんの第一印象でした。


 その4年後、『主婦の友』で「遠藤周作と瀬戸内晴美のリレー対談」(隔月)が始まると、私は「遠藤周作」対談番記者となりました。


 第1回目のゲストは作家の佐藤愛子さん。最初の結婚相手が戦後、モルヒネ中毒で苦労した話、再婚した夫が事業に失敗して借金を背負い、それを妻の佐藤さんが返済するまでの顛末を書いた、『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞した話を引き出す対談の名手、遠藤さんの優しさ、誠実さに感動しました。


 1980年、『わたしの健康』編集部に異動した私に、遠藤さんから「東西両医学の医師や民間療法の治療家と対談したい」と提案があり、治療体験談+対談企画である『治った人、治した人』が始まりました。かくして、私は「遠藤周作」からだ番記者となり、遠藤さんと一緒に、東方伝統医学・現代西洋医学の医師や民間療法の治療家を取材しました。


 そして、初めての拙著『からだのメッセージを聴く――人はいかにして癒されるか』(日本教文社、1993年。集英社文庫、2001年)を上梓したときには、「カメラ位置の面白さ」と題する序文をいただきました。


 文中、氏が触れておられるように、私が自分の病気体験から日本の医療体制に関心をもち「心あたたかな病院」を作ろうというキャンペーンを行った時、最も共鳴してくださり、協力してくださったのが他ならぬ原山さんだった。我々は共にボランティア・グループを設立し、それに参加した人たちは都内の幾つかの病院で活動されている。(中略)


 原山さんとは色々な治療家を共に訪れたことがあるが、彼の偉い点は匿れた治療を追体験している点だ。(中略)操体法や西野流呼吸法も早速、実行、習得されている。それだけに、ここに書かれた療法は原山さんの体験を通して確認されたものだと言っていい。


 とは言え、原山さんは医師ではない。医師ではないから逆に現代医学の弱点も現場にあって観察することもできたし、現代医学が顧みない民間の治療法を新鮮な眼で見ることができたのである。本書の面白さはそういうカメラ・ポジションの面白さと言ってよいだろう。共に「心あたたかな病院」運動をやって来た者の一人として、私は原山さんの本書出版を心から悦んでいる。(『からだのメッセージを聴く』序文)


以下次号に続く。

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