助からないのなら、これ以上、彼女を苦しめないで!
- mamoru segawa

- 11月15日
- 読了時間: 6分
更新日:11月22日
原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けいたします。今回は、第一章の2『「助からないのなら、これ以上、彼女を苦しめないで!」』です。
第一章 遠藤周作の人生には、「病い」と「神さま」
2.「助からないのなら、これ以上、彼女を苦しめないでからないのなら!」
☆ 遠藤さんは上顎がんの疑い、友ちゃんは骨髄がんであと1カ月。
1968年、主婦の友社に入社した私は、『主婦の友』編集部で遠藤さんの原稿とりからスタートし、やがて遠藤さんの対談「番」記者を務めるようになりました。そして、1980年に『わたしの健康』編集部に異動をした私に、遠藤さんから連載企画『治った人、治した人』の提案がありました。
実は、同じ年の3月、悲しい出来事がありました。遠藤さんは慶應病院で蓄膿症の手術を受け、さらに上顎ガンの疑いで癌研での検査結果待ちの状態でしたが、そのころ遠藤家に手伝いにきていた若い女性が骨髄ガンで同じ慶応病院に入院したのです。
その後、遠藤さんの上顎ガンの疑いは晴れるのですが、その女性は25歳の若さで命を落とします。遠藤さんは彼女の病室を訪れる度に、毎日行われる採血に疑問をもちました。
「なぜ、命を終わろうとしている患者から、毎日採血するのですか。これ以上、彼女を苦しめないでください」と聞くと、「ここは大学病院ですから」という答えが返ってきました。あとになって、ここは慶応義塾大学医学部の附属病院で、医学生の教育のために患者の検査データが必要だという、大学病院独特の事情(都合)であることが判明するのですが、患者の苦痛を無視した現代医療のあり方に、遠藤さんは大きな疑問をもち始めました。
夫の帰天から2年後に上梓した『夫の宿題』(遠藤順子著、PHP研究所、1998年→PHP文庫、2000年)のなかで、順子夫人は次のように書いています。
☆「友ちゃんの癌」
「心あたたかな病院運動」を主人が提唱したきっかけのひとつに、悲しい別れがありました。
茨城から家へ手伝いに来ていた女の子がいました。鈴木友子ちゃんといって、20歳ぐらいで色のおどろくほど白い、肌のすき通るような女の子でした。なんとなく淋しそうな雰囲気があって、主人も特に気をつけて目をかけて、冗談を言って、からかったりしていました。「私は遠藤家に一生いる」というのが彼女の口ぐせで、私は嬉しさ半分心配半分といった感じでした。「女は結婚すると正月になかなか実家へは帰れないものだから、正月には必ずかえしてやれ」というのが主人の持論でした。肝心の一番忙しい年の暮れから3カ日にかけて、手伝いの人たちを田舎に帰すのは困るのですが、我が家ではその主人の一言で、正月には皆実家へ帰っていました。
その年も皆で暮れに忘年会をやり、次の日にそれぞれ故郷に向かって発っていきました。友子ちゃんも忘年会の時少し風邪ぎみではありましたが、元気な様子で、食欲も他の人たちよりも旺盛なぐらいでした。
年が明けて田舎から帰ってきた友ちゃんは、明らかに暮れとは様子が違っていました。最初風邪がぶりかえしたのかと思いました。でも、どうも様子が変なのです。私はまず若い人の病気として結核を疑いました。全治したと医者にはその頃は言われていましたが、何と言っても主人は結核だった人間です。家に働きに来ている子を結核にしてしまったのでは、私の責任は重大です。すぐかかりつけの熊谷先生のところに連れていきました。
レントゲンを撮って頂き、胸のほうは何ともないということで、その日は一度帰宅したのですが、翌日どうも容態がよくないようなので、また再び熊谷先生のところへ連れていき、ともかく入院させました。
ところが、翌日になって熊谷先生から思いがけない結果が知らされました。友ちゃんが癌だというのです。まさか25で癌とは夢にも思わぬことでした。すぐ慶応病院へ入院させました。まだ、主人も私も半信半疑で、まさかまさかという気持ちでした。
(『夫の宿題』157~158ページ)
☆「君はひとりじゃないんだよ」
友ちゃんの診断の結果は骨髄の癌で、長くて1カ月という思いがけない結果でした。発病は12月の初めでしょうが、若いから転移も早いのです、との言葉に、主人も私もうちのめされてしまいました。
大学病院ですから、あと1カ月の命とわかっていても、次から次へと検査、検査なのです。主人も主治医の先生に、検査をしても助からないのなら、辛い検査はやめてやってくれと、毎日病院に行っては若い先生と検査の回数を減らす交渉ばかりをしていました。(中略)
そのうち、主人は時々鼻血がでるようになり、友ちゃんのことで家中神経過敏になっていたこともあって、念のため慶応で診てもらうことになりました。「念のためにとりましょう」と言って撮ったレントゲンを見て、ちょっとお医者様の顔色が変わったそうです。(中略)
主人が、「癌を疑っていらっしゃるのではないですか?」と伺うと「このまま行くと上顎癌に移行する恐れなきにしもあらずです」と答えられ、主人は友ちゃんのこともあって、二重のショックでした。
(『夫の宿題』159~160ページ)
☆「安らかな昇天を祈って」
ともかく主人は(※上顎がんの疑い)入院をして、主人は5階に、友ちゃんは1階という、一家で二人が入院という事態になりまして、私は5階と1階を上ったり下りたりして、病院の中を駈け廻っていました。
いよいよ主人の手術の日となりました。(※執刀医の)犬山先生は手術後部屋へいらっしゃり、「肉眼で見た限りでは癌ではないように思いますが、念のため今検査に出しました。1週間したら結果がわかります」と言われました。まだこれから1週間待つのかと思うと、張りつめていた気持ちもくずれそうでした。そうこうするうちに友ちゃんのほうは、もうあと2日か3日という状態になっていました。
いよいよ今日があぶないという日、わたしはずっと友ちゃんの部屋についていました。友ちゃんの、仲のいいお姉さんもついていてくれました。安らかな死顔で、今まであんなに苦しんでいたのが、まるで嘘のようでした。
助けられないのならせめて安らかに死なせてあげたい、と私もお茶断ちをしていました。主人も今まで何度も禁煙の志をたてながら失敗していたたばこを、友ちゃんの安らかな昇天を祈ってぷっつりと断っていました。その願いが叶ったということだけがせめてもの慰め、と思うより仕方がありません。
車が来て友ちゃんを見送ってから、5階の主人の病室に上っていきました。主人に友ちゃんのことは何と伝えるべきかと心を悩ましていました。病室の扉をあけた瞬間、主人の声が聞こえました。「友ちゃん、今死んだんだろう?」私ははっとして言葉に詰まってしまいました。
「今、俺がうとうとしていたら、元気な時のままの友ちゃんがニコニコして入ってきて、『旦那様! 旦那様は癌なんかじゃあありませんよ、大丈夫ですよ!』と言って消えてしまったので、ああ今亡くなったのかなあと思って祈っていたところだったんだ」と教えてくれました。
それから2日経った日の午後、廊下を小走りに走ってこられる犬山先生に出逢いました。白い紙をつまんでヒラヒラさせていらっしゃいました。「パス、パス」と嬉しそうでした。
(『夫の宿題』166~167ページ)
このように、遠藤周作・順子夫妻が「友ちゃんの癌」に心を痛めていた同じ時期、夫・周作さんもまた上顎がんの疑いで、同じ病院に検査のために入院していたのでした。そして、このことが、やがて「心あたたかな医療」キャンペーンを始めるきっかけとなったのです。
(以下、次回に続きます)









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