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「日本の『良医』に訴える」

  • 6 日前
  • 読了時間: 6分

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、第五章の『2.患者の「病気」だけでなく、「病人」の人生にも目を向けてほしい』を掲載します。


2.患者の「病気」だけでなく、「病人」の人生にも目を向けてほしい。


☆患者のことを考えた医療の立場をはっきりさせたい。


 『中央公論』に寄稿した「日本の『良医』に訴える――私がもらった200通の手紙から」の冒頭で、病院の医師にぜひお願いしたいことは、患者がいま抱えている「病気」だけでなく、さまざまな人生を背負った「病人」であることを理解してほしい、と遠藤さんは訴えています。


 むかしの医師とちがって今の大病院では医師は次第に病人ではなく、患者の病気にしか関心がなくなっている。これからはコンピューター診察のような形で医師・対・患者の関係は正確さを狙うあまり、ますます機械的な非人間的なものになっていくかもしれぬ。一人の患者がおずおずと医師の前に腰かけ、病状を訴える時、彼は医師にたいしある病気の持主としてだけではなく、仕事や家族をかかえた一人の人間として向いあっているのだ。そして彼の病気もこうした彼の人生と決して無関係どころか、切っても切れぬ関連を持っている。言いかえれば患者は病気と共にその病気が彼に与えた心の悩み、苦しみ、不安、孤独感、自分が病床につかねばならなくなった時の家族への配慮、仕事の断絶――そういった全部を背おって医師と向きあっているのである。

(『中央公論』1982年7月号、129ページ)


 1986年、東京大学附属病院内に「患者サービス改善推進委員会」を発足させ、同病院の「入院案内」の文言を大きく変えた当時の病院長で、このときは日本赤十字医療センター名誉院長の森岡恭彦さんに、2016年8月、30年ぶりのインタビューをすることができました。


 かつて東京大学附属病院長だった森岡さんは、私が所属していた当時の『わたしの健康』1986年11月号のインタビューに答えて、次のように語っていました。


 まず、できることから変えようと思いまして、入院案内のパンフレットを改定することにしました。どうも東大病院というといかめしいイメージが強いようですが、もっと患者さんのことを考えた医療の立場をはっきりさせたい。最終的には医者にせよ、看護婦にせよ、患者さん個人への対応、つまりは人間の問題になってくるのですが、入院案内の改定をそのスタートとしたいのです。改定案を大手広告代理店にまかせれば、きっとすばらしい案を作ってくるでしょう。しかし、これは東大病院の現場で作ることにしました。パンフレットのイラストも、職員に担当してもらいます。(中略)


 入院案内だけでなく、たとえば夕食時間を患者さんの食欲にあわせて、午後5時30分から6時に繰り下げる(普通の病院では午後5時が多い)とか、メニューを和食と洋食の二つの選択性にすることなども、現在、検討しています。

 (『わたしの健康』1986年11月号、197ページ)


 このとき(2016年)の取材では、森岡さんは1986年当時、「(入院案内に)ここまで書いてよいだろうかと、かなり決心を要しました。いまでは当たり前のことなのですが」と率直に語ってくださいました。


☆医師と患者の信頼関係が、治療上の良薬となる。


 1980年代から日本における「インフォームド・コンセント(医師の説明と患者の同意)」の指導的役割を担われ、そのころ日本医師会「会員の倫理・資質向上委員会」委員長を務めたのが、ほかならぬ森岡さんだったのです。


 森岡さんは自著『死にゆく人のための医療』(NHK出版協会、2003年)の中で、「西洋型の個人主義を基にする、自由民主主義社会での患者の人権擁護、自己決定権の尊重という考え方から生まれたもので、わが国にはアメリカから輸入されてきたインフォームド・コンセントという考え方」を、日本では「医師と患者との間の信頼関係を築く上で必要な原則」ととらえようとする考え方を示されています。


 日本では患者の人権とか権利といったことはひとまず脇に置き、インフォームド・コンセントを医師と患者との間の信頼関係を保つ上でのいわば治療上の良薬ととらえており、これが日本流の考え方だといえます。そしてもし医療が民法上の契約だということになり、医療側が防衛医療に傾いたり、インフォームド・コンセントが医療者側の訴訟逃れの手段として形式化し、医師と患者の関係が冷たいものになるのなら、それはインフォームド・コンセントのマイナス面になりかねないという恐れが強調されているのが、わが国の特徴といえます。

(『死にゆく人のための医療』、68ページ)


 ユング派の心理学で使われるシンクロニシティ(共時性)ということばがあります。これは「集合的無意識(遠藤さんは「グレート・マザー(太母)」と呼んでいました)」に根ざした「意味のある偶然の一致」、つまりある出来事や考え方が、ほぼ同時に離れたところで起こるのは、あとから考えると何か重要な意味を持っていたことに気づく、というほどの意味です。


 「患者の病気だけでなく、病人である患者の人生に関心をもってほしい」と願い、「ことばは病人を癒す薬だ」と訴えた遠藤さんが、「医師と患者との間の信頼関係を保つ上での薬」としての心と心の触れ合い、つまりアメリカ型流の訴訟回避主義とは異なる発想で日本流のインフォームド・コンセントをとり入れようとしていた「良医」である森岡さんと、「東大病院の入院案内の改定」というフィールドで出会った(英語ではエンカウンター・遭遇する)快挙は、遠藤さんが提唱した「心あたたかな医療」運動の、とても大きな一歩となったのです。


 遠藤さんは、『中央公論』に寄稿した「日本の『良医』に訴える」の末尾を、次のことばで締めくくっています。


 私はなぜか病院が好きだ。夜、一人で病院のそばに行き、病室の窓にともる灯をじっとみつめていることがよくある。灯のうるむ病室のなかで、一人一人が病に苦しみ、恢復に悦んでいる。病室のなかで人々が日常生活では考えられなかった人生や死の不安と向きあっている。日本人の多くが、自分の死のことをはじめて考え、自分の人生のことをはじめて考えるのは病院なのではないか。もしそうなら、病院こそ新しい教会であり本当の人間関係が考えられねばならぬ場所なのだろう。

(『中央公論』1982年7月号、137ページ)


 遠藤さんが「心あたたかな医療(病院)」の実現を願ってアドバイスした東大病院の改訂版「入院案内」は、その後、全国の病院で進められた「入院のご案内」改訂の〈心あたたかな病院〉モデルとなっています。


💛 マザー・テレサのことば 2

大きなことができる人は限られます。ただ、大きな愛で小さなことをすることなら私たちにもできるはずです。(Not all of us can do great things. But we can do small things with great love.)

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