top of page

キリシタンと幕府軍、両軍の戦死者をともに供養する法要

更新日:15 分前

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けいたします。今回は、第一章の4『キリシタンと幕府軍、両軍の戦死者をともに供養する法要』です。


4.キリシタンと幕府軍、両軍の戦死者をともに供養する法要


☆「遠藤周作とすべてのキリシタンのための追悼ミサ」


 これは、順子夫人から直接うかがった話ですが、亡くなった夫・遠藤周作のミサに、転びキリシタンと原城の戦いでキリシタン軍を攻めて戦死した幕府軍の兵士も、ともにおミサに預かりたいと、当時のカトリック教会にお願いしたら、「それはできません。棄教者はもちろんのこと、まして殉教者を攻撃した兵士など……」と断わられたと、とても腹を立てておられました。


 その後の経過を、順子夫人は『夫の宿題』のなかで書いておられます。


 以前に主人と、たしか3回目に原城跡を訪ねた時のことです。私共が行った時は午後でしたが、ちょうどその日の午前中に原城跡で僧侶による供養会が行われていたということでした。まだ片付け残されていた赤いのぼりには、墨で天草の乱による両軍の戦死者供養のためと発願の主旨が書かれ、南無妙法蓮華経と書かれてありました。主人がそののぼりを見たかどうかははっきりしません。私も特にそのことを主人に話した記憶はありません。


 でも私はそれを間違いなく見ましたし、今でもその時のことをはっきりと記憶しています。キリシタン時代に、大切に代々守ってきた寺宝の仏像をキリスト教徒にこわされたり、寺を焼かれた仏教の僧侶たちの恨みや嘆きも代々語り伝えられてきているでしょうに、と思うと、キリスト教信者として恥ずかしさで一杯でした。


 今の、カトリックの教会側には原城で戦死した幕府側の戦死者1万9000人も、共に犠牲者として鎮魂する発想があるでしょうか。転び者ということで、長い間転んだ人々の苦しみや悲しみを愛の心で包むこともできず、平気で無視し続けてきた人々より、あの日供養会を営まれた仏教の名もない僧侶の方のほうがどんなにキリストの近くにいるでしょうかと、私は思います。 

(『夫の宿題』」222~223ページ)


 やがて、順子夫人の思いはローマに届きます。2000年、キリスト教会の分裂、十字軍、異端審問、魔女裁判、反ユダヤ主義、先住民族への侮辱などに関する教会や信者の責任を認め、神に対し許しを請い、イスラエルとパレスチナの和解を訴えたヨハネ・パウロ二世(在位1978~2005年)の時代に入ると、これまでより開かれたキリスト教となったのです。


 2006年、長崎市の浦上天主堂で行われた、没後十年の追悼ミサは、「遠藤周作とすべてのキリシタンのための追悼ミサ」として執り行われ、友人の作家・三浦朱門さんだけでなく、墨染めの衣に身を包んだ天台宗の僧侶で作家の瀬戸内寂聴さんの記念講演も実現しました。


☆「転生」ということばで、「復活」の意味を伝えようとした。


 遠藤順子さんは、『夫・遠藤周作を語る』(遠藤順子著、聞き手・鈴木秀子、文春文庫、2000年)の中で、鈴木秀子さん(聖心女子大学教授)の【『深い河』がカトリックの世界から(日本的)汎神論に移行していった作品だと言う人もます。(中略)遠藤先生はこの作品を通して、日本人にわかりやすい形で「復活」という観念を証明しようとされたのだと思います。】という発言に、次のように語っています。


 主人は別に汎神論に移行するつもりはなかったと思います。あの世に行けば母や兄に会えると信じていましたし、人は死んでも消えない、復活するんだというメッセージを残して逝ったわけですから、中には主人がカトリックから輪廻転生の世界へ転向したと思っておられる方もいるようですが、そうじゃないんですよ。(中略)


 カトリックの「復活」を表現しようにも、「復活」という言葉を使ってしまえば、もう日本人からは拒否反応を受けるでしょ。そこは日本人に馴染の深い、輪廻転生を持ち出してきた方がいいという計算があったのではないかしら。ただ、そこで本当に輪廻転生を描いてしまうと、「復活」から離れてしまう。だから生まれかわりを書けなかったんじゃないでしょうか。(中略)


 大津が早暁一人でミサを立てているところがあるでしょ、あそこを書くことで、主人は自分の立場を誤解を招かないようにきちんと表現しているのだと思います。

(『夫・遠藤周作を語る』175~177ページ)


 同書で、やはり鈴木さんの【『深い河』の中でも子供は生まれかわってはいない。いつも神は沈黙している。その沈黙にこそ大きな意味があるということでしょうね。(中略)神は沈黙しているけれど、いつも傍らで自分を見つめて、力を与えてくれている。】という発言を受けて、仏教にも造詣の深い順子夫人が語る、次の言葉は私の心を打ちました。


 向こうから祈ってくれているなということは、私も実際に感じます。その祈りで私がどれほど救われたか。愛している人を亡くしたのはあなた一人じゃないって言われているような気がして、どれだけ救われたことか。


 松本章男さんの本で知ったことですが、仏教に「往相(おうそう)の回向(えこう)」と「還相(げんそう)の回向」と二種の回向という考え方があるそうですね。要するに阿弥陀仏の祈りのために、この世に生きたまま極楽浄土にいるのと同じ喜びを得られる。その喜びを感じた人たちはそれを自覚して、こんどは自分以外の人たちを救ってあげようと思って祈る。自分のために回向するだけでなくて、自分のまわりで哀しんでいる人たちを救うために回向するようになる、という考え方ですね。自分がこうして生きていられるのも、もとはといえば、向こうで回向してくれている方がいるからだ、という気がしてならないのね。

(『夫・遠藤周作を語る』183~184ページ)


 「回向(廻向)」といえば、『親鸞「四つの謎」を解く』(梅原猛著、新潮社、2014年)の中で、『教行信証』において親鸞が浄土教のもっとも重要な思想としたのは、「悪人正機説」ではなく、「二種廻向」の説であるとして、梅原猛さんは次のように書いています。


 「廻向(えこう)」とは「転化する」という意味の言葉である。ふつうは人間が何かの徳をつみ、その徳を何かに転化するという意味で使われる。たとえば、自ら積んだ徳を冥土の親のために転化し、親を地獄の苦しみから救済しようとする意味で使われる。しかし、ここで「廻向」の主体は、阿弥陀仏である。阿弥陀仏が自分の徳を転化して人間を救う、という意味である。そして、「二種廻向」というのは、「往相廻向」と「還相廻向」を指す。


 「往相」と「還相」のうち、まず「往相廻向」は、念仏を称えれば、阿弥陀仏のおかげによってどのような凡夫、女人、悪人でも極楽浄土に往生できるとする思想のことである。この「往相廻向」により浄土に往生した念仏者は、願いが満たされたことになる。


 しかし、往生を成し遂げた者たちが永久に浄土にとどまることはできない。なぜなら、大乗仏教の根本理念は「利他(りた)」の教えであるからである。極楽浄土にとどまるのは確かに楽しいことで、「自利(じり)」を満たすものであろう。しかし念仏の徒は「自利」の楽しみに永遠に浸ることはできない。現世に苦しむ人がいる限り、またこの世に還り、苦しむ人を救うという使命を持つ。それゆえ阿弥陀仏は、いったん極楽に入った人間に、またこの世に還って苦しむ人を救うという使命を与えたのである。それが「還相廻向」である。


 つまり「二種廻向」とは、念仏者は阿弥陀仏のおかげで極楽往生することができ、さらにまた現世の人を救うためにこの世に還ることができるとする思想である。

(『親鸞「四つの謎」を解く』297ページ)


 ここで、『深い河 ディープ・リバー』に引用されている、ヒンズー教の聖人、マハトマ・ガンジーの言葉を読んでみたいと思います。


 「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集り通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか」

(『深い河 ディープ・リバー』306ページ)


 おそらくは、この「それぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか」という汎神論的なフレーズに、「それぞれの辛さを背負って祈る人々の苦しみを丸ごと救い(掬い)とって流れる、人間の深い河の悲しみ」を重ね合わせながら、ある人にとっては西方浄土への道、またある人にとっては集いの地(カナン※旧約聖書で神がイスラエルの民に与えたという約束の地)への道、ユング心理学でいうグレート・マザー(太母)への回帰を描きたかったのではないでしょうか。


 その意味で、遠藤さんはキリスト教の信仰を「棄てて」いません。「転んだ」のでもありません。むしろ本来あるべき理想のキリスト者・パウロ遠藤周作として、大いなる光のなかに包まれ、大好きな母・郁、マリア観音の胸にしっかり抱かれたのだと、私は思っています。


コラム 1

遠藤さんからの電話

朝の10時、編集部の電話が鳴った。


 「いま、山の上ホテルの食堂におるんだが、朝飯を食いにこないか」


 主婦の友社は、当時、山の上ホテルから数分の距離にあり、机上に「打合せ、帰社予定一二時」とメモを残して、メインダイニングに急ぐ。「お早うございます」とご挨拶すると、読みかけの朝刊を閉じて「おう」と返事があり、朝食(私は早めの昼食)をご一緒する。原稿締め切り「缶詰め」明けで、少々お疲れぎみだがご機嫌はまずまず。食後のコーヒーも含めて30分ほど雑談して、「それじゃあ、ご苦労さん」と、新聞を手に部屋に戻られた。


 無類の寂しがりや、なのである。


 仕事の合間に、赤坂のM歯科医院で治療中、編集部から至急連絡をとの電話。すぐに治療を中断して、待合室の公衆電話から遠藤さんの事務所に連絡する。


 「口の中に白いものがあり、白板症(はくばんしょう)の疑いと言われた。もしかすると舌がんかもしれない。すぐ調べて連絡してくれないか」


 電話口の声は、心なしか重く沈んでいる。むし歯の治療は中止して、編集部にとんぼ返り。何人かの専門医に電話で白板症と舌ガンについて尋ね、遠藤さんにその結果を電話で報告した。その後の検査で、舌ガンの疑いは杞憂に終わったが、かつての肺結核、糖尿病、高血圧、肝臓病……など、遠藤さんはいつも病気とともにあった。


 「来月、新潟県の講演に行くのだが、円座クッション係になってくれんか」


 南魚沼郡大和町立ゆきぐに大和総合病院での講演に向かう遠藤さんは、痔の手術を受けたばかりで、長距離移動には円座クッションが必須アイテムである。かくして、「からだ」番記者の出番となる。


 その前年(1982年)、讀賣新聞夕刊に連載された原稿『患者からのささやかな願い』をきっかけに、「心あたたかな医療」キャンペーンが始まり、とくに病院・医療関係の講演依頼には最優先で応じていたのだった。


 遠藤さんは講演後の懇談でも「心あたたかな医療」について語り、先進的な地域医療(病院・保健センター・特別養護老人ホームを併設)を推進する黒岩卓夫院長も「健康やまとぴあ」構想を語る、すばらしい一日になった。


遠藤さんからの電話。真剣勝負!

(『周作クラブ』「からだ」番記者レポート②)

次回から第2章に入ります。

コメント


記事: Blog2 Post

▶当会における「プライバシーポリシー」について
*当協会が個人情報を共有する際には、適正かつ公正な手段によって個人情報を取得し、利用目的を「事例」に特定し、明確化しています。
*個人情報を認定協会の関係者間で共同利用する場合には、個人情報の適正な利用を実現するための監督を行います。
*掲載事例の無断転載を禁じます。

▶サイト運営:全国メッセンジャーナースの会(東京都新宿区) ▶制作支援:mamoru segawa

©2022 by メッセンジャーナース。Wix.com で作成されました。

bottom of page