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「許すということは、強さの証だ」

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、第三章の2『陽子の「氷点」。〈ゆるし〉のちから――三浦綾子』です。


2.陽子の「氷点」。〈ゆるし〉のちから――三浦綾子


☆漢字の「許し・赦し」ではなく、ひらがなの〈ゆるし〉



 『氷点』の主人公、陽子は、――自分を育ててくれた井口啓造・夏枝夫妻の一人娘、ルリ子を殺した父(佐石土雄)の子である――と知って、「わたしは罪人の子だ」と思いつめ、生きる力を失って自殺をはかろうとします。


 そして、陽子が書いた「遺書」には、心の葛藤をあらわす逆接の接続詞〈しかし〉、〈けれども〉、〈でも〉、そして陽子の心にあった――水が氷結する温度——〈氷点〉、漢字の「許し・赦し」ではなく、ひらがなの〈ゆるし〉〈ゆるす〉という言葉が出てきます。


※以下の引用は、発行の「三浦綾子小説選集1『氷点』(主婦の友社、2000年)、「三浦綾子小説選集2 『続氷点』(主婦の友社、2001年)からのものです。


☆陽子の「遺書」


――自分は井口夫妻の一人娘、ルリ子を殺した父(殺人者)の子であると思い込み、自殺をはかろうとする陽子。


 長い間、辻口家の娘として育ててくださった御恩に、何のおむくいすることもなく、死んでしまうということは、ほんとうに申しわけないことと思います。(中略)自殺ということは、まちがっていると、今も思っております。どんな理由があるにせよ、自殺ということを、私は決してよいことだとは思っておりません。でも、悪いと知りつつ、私はやはり死ぬことにいたしました。(中略)


 中学の卒業式の時、答辞が白紙になっていた時には、おかあさん(今は、こう呼ぶことをおゆるし下さい)の意地の悪さに驚きました。私は生意気にも、

「こんな意地の悪い人のためには、どんなことがあっても、自分の性格をゆがませたりする愚かなことはすまい。私を困らせようとするならば困るまいぞ、苦しめようとするのなら苦しむまいぞ」

という不敵な覚悟で、少なくとも表面はかなり明るく振る舞って生きて来たのでした。


 しかし、私がルリ子姉さんを殺した憎むべき者の娘であると知った今は、おかあさん(※ここでは井口夏枝のこと。しかし、のちに育ての母が、三井恵子であることを知る)が、私に対してなさった意地悪も、決して恨んでおりません。ああなさったのは当然であると思います。当然というより、どんなにおつらい毎日であったことかと、心からお気の毒でなりません。(中略)


 しかし、自分の父が、幼いルリ子姉さんの命を奪ったと知った時、私はぐらぐらと地の揺れ動くのを感じました。


 今まで、どんなにつらい時でも、じっと耐えることができましたのは、自分は決して悪くないのだ、自分は正しいのだ、無垢なのだという思いに支えられていたからでした。でも、殺人者の娘であると知った今、私は私のよって立つ所を失いました。(中略)


 自分さえ正しければ、私はたとえ貧しかろうと、人に悪口を言われようと、意地悪くいじめられようと、胸をはって生きて行ける強い人間でした。そんなことで損なわれることのない人間でした。何故なら、それは自分のソトのことですから。


 しかし、自分の中の罪の可能性を見出した私は、生きる望みを失いました。どんな時でもいじけることのなかった私。陽子という名のように、この世の光の如く明るく生きようとした私は、おかあさんからごらんになると、腹の立つほどふてぶてしい人間だったことでしょう。


 けれども、いま陽子は思います。一途に精いっぱい生きて来た陽子の心にも氷点があったのだということを。


 私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は、「お前は罪人の子だ」というところにあったのです。私はもう、人の前に顔を上げることができません。どんな小さな子供の前にも。この罪ある自分であるという事実に耐えて生きて行く時にこそ、ほんとうの生き方がわかるのだという気もいたします。


 私にはそれができませんでした。残念に思いますけれども、私にはもう生きる力がなくなりました。凍えてしまったのです。おとうさん、おかあさん、どうかルリ子姉さんを殺した父をおゆるし下さい。


 今、こう書いた瞬間、「ゆるし」という言葉にハッとするような思いでした。私は今まで、こんなに人にゆるしてほしいと思ったことはありませんでした。


 けれども、今、「ゆるし」がほしいのです。おとうさまに、おかあさまに、世界のすべての人々に。私の血の中を流れる罪を、ハッキリと「ゆるす」と言ってくれる権威あるものがほしいのです。

(三浦綾子小説選集1 『氷点』394~396ページ)


 さらに、『続氷点』では、自殺未遂後の長い昏睡状態から醒めた陽子が、「本当は、井口啓造の大学同窓生、中川光夫が、三井弥吉の妻・恵子と不倫して生まれた子どもだった」ことを知ります。


 井口啓造が持たせた聖書の「ヨハネ伝第八章」には――律法が禁じた姦淫の罪を犯した女を殺せといきり立つ群衆に対して、イエスは姦淫の女を石で打たなかった。その女をただあたたかくゆるしただけだった――と書かれていました。


 陽子は考えます。


 なぜイエスは姦淫の罪を犯したその女をゆるしたのだろうか。罪は、たとえ人間の命をもってしても、根本的につぐない得ないものだからでもあろうか。確かに罪とは、ゆるされる以外にどうしようもないものなのかも知れない―― 


 そして、陽子は生みの母である、三井恵子の家に電話をかけるのでした。


(おかあさん! ごめんなさい)


☆一度は死を選んだ陽子に訪れる、たましいの再生と「ゆるし」。


 「汝らのうち罪なきもの、この女にまず石を擲(なげう)て」――ヨハネによる福音書第八章七節


 陽子は、けさ聖書を読んだ。旭川を発つ時、啓造がくれたものだった。陽子のために買っておいたのだろう。えんじ色のクロス張りの聖書に、細い紙片が、しおりのようにはさんであった。


 紙片には、

「陽子、ヨハネ福音書第八章一節から十一節までを、ぜひ読んでおくこと。父」

と、短く書いてあった。


 その箇所には、姦通の現場から引きずり出されて来た女が、衆人に石で打ち殺されるか、どうかという場面が記されていた。


 当時のユダヤの律法によれば、姦通罪は死刑であった。しかも、石をもって打ち殺せというのだ。宗教学者や信仰の篤い男たちが、その女をイエスの前に突き出し、

「こういう女はおきてでは石で打ち殺すことになっているが、あなたはどうするか」

と、迫った。おきてのとおりに殺せといえば、愛を説く日ごろの言動に矛盾し、且つ時の支配者ローマ帝国の法律に違反する。殺すなといえば、ユダヤの律法をふみにじることになる。どう答えてもイエスを、窮地に追いこみ得ると見た意地の悪い質問だった。


 イエスは沈黙した。そして身をかがめた。そして指で地面に何かを書いた。


 彼らは執拗に回答を迫った。イエスは彼らを見まわしていった。


「あなたがたの中で、罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」


 再びイエスは、地面に何かを書きつづけた。


 一人が去り、二人が姿を消し、やがて残ったのは、イエスと女だけであった。


「あなたがたの中で、罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」


 その言葉に、啓造は太い朱線を引いておいた。陽子は痛かった。(※生みの母である、三井)恵子の存在を知って以来の陽子の心を、啓造はむろん知っている。そして陽子が、恵子に初めてあった日のことも、伝え聞いているにちがいない。「陽子さん、ゆるして……」


 恵子の黒い目に涙が盛り上がったのを見ると、陽子は黙って傍を離れた。そして、廊下を曲がり、手術室のほうに、用ある人のように足早に歩いて行った。(中略)


 「陽子さん、ゆるして……」


 その一言には万感の思いがこめられていたはずである。しかし陽子は、素っ気なくその場を立ち去ったのだ。それは、石を投げ打つよりも冷酷な仕打ちではなかったか。


(原罪!)


 陽子は、ふと啓造から聞いた言葉を思い出した。ようやく、自分の心の底にひそむ醜さが、きびしい大氷原を前にして、はじめてわかったような気がした。


 石を投げ打つ資格は、一人イエスにはあったにちがいない。だがイエスは、姦淫の女を石で打たなかった。イエスはただあたたかくゆるしただけだった。陽子はそのことを思い返さずにはいられなかった。


(しかし、なぜ……)


 なぜイエスはゆるしたのであろう。罪は、たとえ人間の命をもってしても、根本的につぐない得ないものだからでもあろうか。確かに罪とは、ゆるされる以外にどうしようもないものなのかも知れない。


 流氷の上の空が、ひとところばら色にあかねしている。曇天の日のあかねを、陽子は珍しく思った。(中略)


 と、光が一筋、流氷の原に投げかけられた。査問ピンクの細い帯が、氷原を染めた。夕光は、宿の裏山のほうからさしているようだった。(中略)


 やがて、その紅の色は、ぽとり、ぽとりと、サモンピンに染められた氷原の上に、右から左へと同じ間隔をおいてふえて行く。と、その血にも似た紅が、火炎のようにめらめらと燃えはじめた。(中略)


 じっと、そのゆらぐ炎をみつめる自分の心に、ふしぎな光が一筋、さしこむのを陽子は感じた。


 またしても、ぽとりと、血の滴るように流氷が滲んで行く。


(天からの血)


 そう思った瞬間、陽子は、キリストが十字架に流されたという血潮を、今目の前に見せられているような、深い感動を覚えた。(中略)


(何と人間は小さな存在であろう)


 あざやかな炎の色を見つめながら、陽子は、いまこそ人間の罪を真にゆるし得る神のあることを思った。神の子の聖なる生命でしか、罪はあがない得ないものであると、順子から聞いていたことが、いまは素直に信じられた。この非情な自分をゆるし、だまって受け入れてくれる方がいる。なぜ、そのことがいままで信じられなかったのか、陽子はふしぎだった。(中略)

陽子はつと立って、北原(※陽子の恋人)に電話をしようと思った。が、何よりも先に、なさねばならぬことがあった。


 交換手が出た。陽子は、小樽の(※生みの母である三井恵子の夫)三井弥吉の電話番号を調べて、とりついでもらうことにした。


 「受話器を一たん置いて、お待ちください」


 ベルが鳴るまでの僅かな時間が、陽子にはひどく長く感じられた。


(おかあさん! ごめんなさい)


 あの雪道をうつむいたまま去って行った恵子の背に、呼びかけるような思いだった。

二、三分たって、ベルが鳴った。


 「ただいま、お呼びしています。そのままお待ちください」


 交換手の声がして、コールサインの鳴るのが聞こえた。陽子は受話器を強く耳に押し当てた。

ふいに陽子の目から涙が溢れた。その涙をぬぐおうともせず、陽子はコールサインに耳を傾けていた。

(三浦綾子小説選集2 『続氷点』398~405ページ)


♠ マハトマ・ガンジーのことば 6

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。(The weak can never forgive. Forgiveness is the attribute of the strong.)


☆「相手への思いはそれが祈りだから、必ず相手の心に届くのよ」


 かつて私が『主婦の友』編集部に在籍していたころ、キリスト教作家・三浦綾子さんの担当記者だったご縁でお目にかかった折に、三浦さんから直接うかがった、次のようなことばがあります。


 「たとえば、もし苦しんでいる人がいたとして、その人のためになにかしてあげる、その人といっしょにいてあげる、その人のために祈る、この三つの中で、いちばんつよい力をもっているのは、その人のために祈ることなのよ。何かをしてあげる、いっしょにいてあげるには、そのときそこにいなければならない。でも、その人のために祈ることは、いつでもどこででもできることなの。お祈りの言葉は何でもいい、その人の顔と幸せな姿をそっと心に思い浮かべる、相手への思いはそれが祈りだから、必ず相手の心に届くのよ」


 その後、いくつかの大学の授業(コミュニケーション論)のなかで、私はこの「三つの祈り」について、不等号(≦)を用いて説明していました。


なにかしてあげる(行う)

≦いっしょにいてあげる(寄り添う)

≦その人のために祈る(思う)


 三浦さんの思いは、「どんなときにも、あなたのことを忘れない。いつも、あなたのことを思っている」という祈りなのです。1995年にマイケル・ジャクソンが歌った大ヒット曲、『You Are Not Alone』の歌詞もまた、深い祈りのことばです。


You are not alone 

あなたはひとりじゃない

I am here with you 

わたしが一緒にここにいるわ

Though we're far apart 

たとえあなたと遠く離れても

You're always in my heart 

あなたはいつも心のなかにいるわ

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