看護にお金を出すのは、当たり前のことなんだ
- 4月11日
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原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、第七章「3.看護にお金を出すのは、当たり前のことなんだ」です。
3.「看護にお金を出すのは、当たり前のことなんだ」
☆「病院」から「街(在宅)」に飛び出したプロナースたち。
「本当の看護を評価していただきたい。質の高い在宅訪問看護を買っていただきたい。訪問看護に医療保険を適用してほしい」
在宅看護研究センターLLP(有限責任事業組合)の代表を務めるスーパー看護師の村松静子(せいこ)さんは、2011年に第43回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞された在宅看護の草分け的存在です。
1980年、日赤医療センターのICU(集中治療室)看護婦長(現在は看護師長)になった村松さんは、1982年に病院から出向するかたちで、日赤中央女子短大看護学科の講師となります。
ちょうど、村松さんが退院後の療養に不安を訴える患者や家族の在宅看護の重要性に注目していたこともあって、翌年、「在宅ケア保障会」を結成して、主治医制での訪問看護ボランティアを開始しました。
「それぞれの家族が築いてきた家庭の中で繰り広げられる在宅看護、そこでは、あくまでも療養者が中心であり、療養者と家族が主役でした。自由と、甘えと、そして温もりがありました」
このボランティアは、それから3年1カ月後に発足する「在宅看護研究センター」の看護実践の現場に、その精神が引き継がれることになるのですが……。その後、医師の紹介による新たな依頼が増えつづけ、勤務時間外に行う「訪問看護のボランティア」には、自ずと限界が見えてくるようになりました。
そんな折、遠藤さんとの対談で「看護にお金を出すのは、当たり前のことなんだ。このままボランティアで続けることは、とても無理だよ。会社を作ったらいい」という〈ことば〉に励まされ、1986年春、赤十字病院出身の看護師3人とともに在宅看護研究センターを創設したのです。「私のなかでは、不安が渦巻いていました。続かないかもしれない、経済的にも体力的にも……。でも、悩みながらも、本当の看護にこだわる自分が、そこにいました」
その当時、病院や開業医に雇われる形で働く看護師(2002年までの呼称は看護婦)は、医師の指示があった場合以外には医療行為をしてはならないとされ、看護師だけでの開業は成り立たないと考えられていた時代でした。
病院から街に飛び出した、村松さんたちプロナース数名で開業したワンルームマンションの一室には、電話、ポケットベル、コピー機、ワープロ、医療用カメラ、聴診器、血圧計、吸引器など、最小限の装備しかありません。24時間稼動できるナースは、村松さんのほかに一人、プラス乳飲み子を抱えた一人、合計2.5人。ボランティア時代からの療養者4名の訪問看護も継続しながら、本格的な活動を開始したのです。それまでも「在宅介護」はありましたが、病院から独立したナースによる在宅看護の起業化は、日本初ということで新聞や週刊誌、看護系雑誌に大きくとり上げられました。
「私も当初は〝看護を買っていただく〟という言葉を使ったり、マスコミが開業ナースと命名したりしましたが、そのころのナースは医師のかばん持ち的存在、誰が何と言おうと、実際はその通り。ナースの自立が問われていました」
大きな組織から離れた村松さんは、医療界からのきびしい非難を受けました。
「看護は聖職じゃないですって? 看護を売るなんて、あなた気でも狂ったの」
「看護婦は病院を一歩離れたら、家政婦と同じなのよ。「浣腸」だって、「摘便(※自然排便ができない患者の肛門から、硬くなった便を摘出する手技)」だって、医療行為なのよ、看護婦独自の機能なんて何もないのよ」
「私たち医者は患者を平等に診ている。君たちは(在宅看護にかかる)お金を払えない人はどうするつもりだ」
高い理想を事業として成功させるには、いくつものハードルを越えなければなりません。日々、組織運営にかかるお金は確実に出ていきます。やがて、当初用意した運営資金がいまにも底を尽きそうになりました。
「私に何ができるか、何をしたかったのか」
村松さんは問い直し、そして、決心しました。
「私は一人のナースとしての看護を買っていただき、評価してもらおう。看護の関連した教育も買っていただこう。たとえ私一人になっても、10年は続けよう」
2005年、私が雑誌『財界人』の取材で訪れたとき、村松さんはこう語っています。
「在宅で求められる看護は、病院での看護とは明らかに違う。在宅ではそこに医療器具がなければ、手技だけでやらなければならない。救急時の対応も、単に救命のためではなく、その患者さんのからだを少しでも楽にすること、痛みをやわらげること、リラックスできるようにするためです」
☆メッセンジャーナース、「つないで・つむぐ」心とわざ。
そして、2010年10月、新たに始まった「メッセンジャーナース(医師・病院と患者・家族の懸け橋となる看護師)」認定制度は、2003年に始まった「ラーニングスタッフ(看護師として働きながら訪問看護を学ぶ)制」の仕組みを発展・進化させたものです。『メッセンジャーナース』(村松静子監修、甲州優・武田美和・川口奏子編集、看護の科学社、2016年)に、その熱い思いが綴られています。
はじめに
メッセンジャーナースとは、看護の本質により迫る看護師として、療養者・家族に寄り添い、医療の受け手と医療者をつなぐ懸け橋となる看護師のことである。(中略)医療技術が進化・高度化している今だからこそ、看護のプロとして行動すべきこの時期を逃してはならない。看護師だから実行しなければならないことがある。(中略)誰かの指示で動くのではなく、家族の言いなりになるわけでもない。あくまで自ら動き、対話を重視し、本人の意思を尊重できるよう支援する。磨き続けた看護の〝心とわざ〟を惜しむことなく活用し、求める人々と医療の懸け橋になろうというのである。(中略)
メッセンジャーナースが最終的にめざしているのは、看護師として長年培ってきた看護の実力と本来の役割を果たす新しい形の社会参加の仕組みである。(中略)対話を基に、医療の受け手の傍らで、医師と医師、諸関係者をつなぎ、つないで紡ぐ懸け橋となる人材は不可欠である。医療の受け手の安心を得るために、メッセンジャーナースはその一役を担おうというのである。(中略)
●メッセンジャーナースの定義
医療の受け手が自分らしい生を全うする治療・生き方を選択する際に、心理的内面の葛藤を認め、認識のズレを正す対話を重視する懸け橋が「メッセンジャーナース」である・
●呼び名の言われ
メッセンジャーには、「使者・天使」として、「心の葛藤に灯をかざす」という意味合いがある。医療の受け手の使者になり、医療者との懸け橋になる意味と、生命体存続に欠かせない〈メッセンジャーRNA〉にあやかって、医療者と受療者の懸け橋になろうとする意気込みを表した。
(『メッセンジャーナース』ⅰ~ⅳページ)
たとえば、「医師(病院)と患者(家族)の懸け橋」とは、次の役割をさしています。
○主治医は丁寧に説明をしてくれたが、むずかしくてよくわからないときに、医師の説明を患者(家族)が理解できるよう、よくかみ砕いて説明してくれる。
○病状や治療方針の説明を受けたが、どうしていいか迷うときに、患者の立場や生活背景、価値観を理解した上で、現実的な見通しなどをアドバイスする。
「今求められている、プロナースの〝つなぐ〟力。察して行動、つないで〝紡ぐ〟。紡ぐには、察する〝勘〟、相手の心に向き合う〝目と手〟が不可欠。」
これは、メッセンジャーナースをスタートさせた村松さんの、素敵なひと言です。村松さんはきょうも、「心あたたかな」プロナースのちからを結集しながら、「心あたたかな在宅看護」の輪を広げています。
💛 マザー・テレサのことば 12
いつもお互いに笑顔で会うことにしましょう。笑顔は愛の始まりですから。(Let us always meet each other with smile, for the smile is the beginning of love.)



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