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女性の先生にお尻を診てほしいのです

  • 3月28日
  • 読了時間: 6分

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回から第七章『「心あたたかな医療」を支える〈旅の仲間たち〉』に入ります。


1.「どうだ、トキちゃん、肛門科の女医にならんか」


☆ 遠藤さんの素人劇団、「樹座」のオーディションを高熱のため欠席。


 『日本ではじめての「女性」による「痔」の専門医』、これはマリーゴールドクリニックのホームページにあった山口トキコさんのプロフィールです。


 山形県出身の山口トキコさんは、父方の先祖が代々医者で、三代前にその流れが途切れていたこともあり、祖父は孫娘を医者にさせたがっていました。小学校3年生のとき、作文に「医者になりたい」と書いた山口さんは、1982年の春、ごく自然な流れで東京女子医科大学に進学します。そして、日夜勉学にいそしむ山口さんに、作家の遠藤周作さんと巡り合うチャンスが訪れました。


 「(芝居を)やる人天国、見る人地獄」で知られる素人劇団「樹座」(遠藤周作座長)の座員募集が『週刊新潮』に載っていたのを見た山形にいる実家の母が、娘に無断で樹座のオーディションを申し込んだのです。


 しかし、審査日の直前に山口さんが高熱で体調を崩したために、オーディションを受けられませんでした。すでに、便箋に書いた履歴書と、大学のセミナーハウスで撮った写真は送付ずみ。そこで、山口さんは樹座スタッフに電話を入れて、急な高熱で欠席した理由を訴えました。それからしばらくたったある日、突然、「遠藤だけど……」という一本の電話が入りました。


 思わず「どちらの遠藤さんですか?」と聞き返すと、「キミ、オーディションを休んだね」という声は、遠藤座長にちがいありません。


 「赤坂見附の貸しホールで(樹座の)練習があるが、見にこないか」と声がかかり、間もなく樹座の稽古場で会うことになりました。


 樹座の座長・遠藤さんと医学生・山口さんとの会話です。


 「いま(東京女子医大で)、あなたはどんな勉強をしているの?」


 「親は皮膚科か外科の医者になってほしいようですが、私はまだ……」


 「これからの医者は、単なる専門バカではいけない。患者は理系じゃないよ、みんな文系なんだから、文系にもわかるように説明を心がけること。いま学んでいる西洋医学だけでなく、もっと視野を広げてほしい。世の中にはいろんな治療法があるんだよ」


 医学生時代の山口さんは劇団樹座を通して遠藤さんと知り合い、座付きドクターとなります。その後、1983年、東京・南青山の平田肛門科医院で痔(血栓性外痔核)の日帰り手術を受けた遠藤さんは、その待合室の様子を、山口さんに次のように語ったひと言が、山口さんの運命を変えたのです。


 「待合室には、若い女性が円座クッションに座って、恥ずかしそうにうつむいていたよ。私はジロジロ見ていたわけじゃないが、かわいそうな話だ。どうだ、トキちゃん、肛門科の女医にならんか」


☆「アルファベットのFのあとは」、「あっ、Gだ」


 元弘前大学学長で内科医の吉田豊さんの著書『医者がみた遠藤周作――わたしの医療軌跡から』(吉田豊著、プレジデント社、2003年)の中に、「遠藤さんの遺志」と題して、遠藤さんから山口さんが肛門科の女医になることを勧められたシーンが、ビデオ画面を見るように活写されています。


 以前、遠藤さんと会ったとき、たまたま同席した女子医学生がいた。遠藤文学の愛読者で、同時に遠藤さんが座長を務める素人劇団・樹座の女優でもあった。その女性に向って遠藤さんがこんなことを言いだした。


 「日本では産婦人科の女医さんが増えているのに、どうして肛門科には女医さんがいないのかなあ。肛門科医といえば、男ばかりでしょう。若い女性の患者なら、男の先生にむかってお尻を出すのはやっぱり恥ずかしい。どうです、あなた一つ、女性のための肛門科医になってくれませんか」


 女子医学生は困ったように笑うだけで、頷くことも否定することもしなかったが、数年後、彼女は本当に肛門科医の道を選んでいたのである。そして都内でも有名な病院(※社会保険中央病院=現・東京山手メディカルセンター)の大腸・肛門科で外科を担当していた。


 そうなってまた、わたしは遠藤さんとその女医さんと一緒に食事をする機会があった。勇敢にも大腸・肛門科を選んだことに、わたしは敬服し、励ましの言葉を口にしているとき、遠藤さんが彼女に言った。


 「あなたはそのうちに開業するのでしょう? しかしね、女性の患者が大腸・肛門科などと書かれた病院に入っていくときは、たいへんな思いをするものですよ。だからね、開業するときには、患者さんたちが恥ずかしい思いをしないですむよう病院名にするといいね」


 そして遠藤さんは、持ち前のユーモア精神から、「たとえばだね、〈アフターF〉なんていうのがいい」


 その言葉に、彼女もわたしも思わず首をかしげた。すると遠藤さんは、イタズラっ子のような顔になって言った。


 「アルファベットのFのあとはなんですか」


 わたしたちは声をそろえて答えた。


 「あっ、Gだ」


 そして見つめ合って笑った。もちろん、「G」は「痔」であったことに気づいて。それから何年かして遠藤さんは亡くなり、彼女は病院を退職して赤坂にクリニックを開業した。送られてきた案内状を見ながら、わたしは彼女がつけた病院名をしみじみと眺めた。そこには、「マリーゴールドクリニック」と書いてあった。


 マリーゴールドか、とわたしは唸った。


 わたしはたまたまその花を知っていた。キク科センジュギク属の小さな花である。見方によっては人間の肛門のようでもある。この名前なら、女性患者たちも抵抗感はないにちがいない。人に見られても、エステティック・サロンにでも入っていったのかと思われるにちがいない。


 彼女にふさわしい、いい名前だとわたしは思った。そして、たしかに遠藤さんの思いが生きていると頬がゆるんだ。

(『医者からみた遠藤周作』、134~136ページ)


 やがて、医師免許を取得した山口さんは女子医大の第二外科に入局します。そんなある日、外科の外来に女性患者から電話がかかってきました。


 「女性の先生にお尻を診てほしいのですが?」


 そのとき、「トキちゃん、肛門科の女医にならんか」ということばを思いだしました。人間観察を重視する作家の目から、女性患者が恥ずかしい思いをしなくてすむように、女性の肛門科医が必要だと直感されたのでしょう。


 大学の医局(勤務医)で臨床経験を積んだ山口さんは、外科のなかでも脳外科や心臓外科ではなく、肛門科(大腸肛門科)専門医をめざす決心をします。


 「大きな手術、たとえばガンなどの手術は複数の外科医によるチーム医療です。自分が長く外科医を続けられる仕事、なかでも女性の肛門を診てあげられるのは、私しかいないのではないか、そう思ったのです。結局は、遠藤先生のことば通りになりましたね」


 2000年2月1日、山口さんはマリーゴールドクリニック(肛門科、胃腸科、内科)を、東京・港区の赤坂見附にオープンしました。


 日々の診療では、何よりも「患者の訴えに耳を傾ける」心構えを大切にしていて、仮にEBM(治療の科学的根拠)が曖昧な民間療法であっても、頭から否定することはしない。まず、患者の訴えや言い分に耳を傾け、その話を聴いてあげることが、患者の不安を受けとめ、それが心の励みになるのならと、いくらでも聴く努力を惜しまない「心あたたかな」ドクターです。


 「患者に本当のことを、すべて言ってもらわないと、よい治療はできない。患者と医師の間で、もっとも大切なことはお互いの信頼関係だと思います」


 かつて医大生だった山口さんが、初めて遠藤さんと出会った43年前、ときを同じくして始まった遠藤さんの「心あたたかな医療」への願いは、笑顔が素敵なドクター、山口さんの現在の診療に受け継がれています。


❤ マザー・テレサのことば 10

リーダーを待つのはおよしなさい。一人で、人から人へと行えばいいのです。Do not wait for leaders; do it alone, person to person.

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