top of page

平和は微笑みから始まります

  • 1 日前
  • 読了時間: 8分

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、第七章「2.『医者の仕事は神父といっしょ。人間の魂に手を突っ込む仕事です』」です。

2.「医者の仕事は神父といっしょ。人間の魂に手を突っ込む仕事です」


☆「おつらいですね」、「ありがとう」


「決して病名の話はしないように! 患者さんは末期ガンだと告知されていませんから」


 1981(昭和56)年、福島県立医科大学を卒業し、東京都内の病院で働き始めた新前ドクター、内藤いづみさんは、この病院での臨床研修にあたって指導医からきつく言い渡されていました。


 「胃が痛くて、どうしようもない」と訴える胃ガンの患者には、「あなたの胃潰瘍はとても大きい。いま、いい薬を使っていますから、もう少しがまんして」と言い、「咳が止まらない。どうにかしてくれ」と泣きつく肺ガンの患者には、「いま、たちの悪い肺炎にかかっています。もう少しがまんして」という説明をしなければならない。もし、「私の病名は何ですか?」と聞かれたら、どう答えればいいのだろう、内藤さんは真剣に悩んでいたのです。


 ある日、年配の女性患者の病室を、偶然、一人で訪れたとき、あまりにも孤独で寒々しい気配に引き込まれるようにベッドサイドまで行き、思わず「おつらいですね」と口に出してしまいました。


 すると、それまで入り口に背を向けていた患者が、ゆっくりとこちらに向き直り、急にポロポロと涙をこぼし始めました。しばらくして泣きやんだ彼女は、どうしていいかわからず、ただおろおろしている研修医の内藤さんに、ひと言「ありがとう」と言ったのです。「おつらいですね」という言葉を聞いて初めて、自分の孤独や寂しさに気づき、それに共感してくれた人がいたという思いから涙を流したのでしょう。


 しかし、内藤さんには返す言葉がありません。何もしてあげられないという無念さに、ただただ立ちすくすしかなかったのです。そのときの悩みを、のちに『笑顔で「さよなら」を』(内藤いづみ著、KKベストセラーズ、2002年)のなかで、次のように書いています。


 当時、科学としての医学の発展はめざましいものがありましたから、大病院でのターミナルケア(終末期医療)は延命至上主義で積極治療が最優先されていました。医師たちも、がんという病気を治すという期待が世間で高まっていることを感じて、張り切っていました。


 しかし、一方で手遅れの患者さんや治らない末期段階の患者さんがいるということも、紛れもない事実で、何人もの末期がんの患者さんを受け持った私は、経験を積むほどにどう対応していいのか悩みも深くなっていました。               

(『笑顔で「さよなら」を』124ページ)


 ちょうどそのころ、作家の遠藤周作さんが讀賣新聞夕刊に寄稿していた連載エッセイ『患者からのささやかな願い』を読んだ内藤さんは、讀賣新聞社に手紙を出しました。いまの医療システムではガンの患者への対応が納得できない、医者としてつらくて患者に向かい合えない、このまま医者の仕事をつづける自信がないという悲痛な思いを、その手紙に書いたのです。


 「すぐに遠藤さんから、電話乞うというハガキがきました。それだけでも驚きなのに、電話してみると当のご本人が出られたので、二度びっくりしました」


 これがきっかけとなり、遠藤周作さんは新前ドクターの悩みに真剣に耳を傾け、筆まめな内藤さんはせっせと手紙を書きました。


 「遠藤さんは、医者というのは神父といっしょで、人間の魂に手を突っ込む仕事だとおっしゃいました。相当の覚悟をもってとり組むべき仕事で、本来は宗教者もそうでしょうけれども、現場で苦しむ人々ときちんと向かい合える専門家がどれくらいいるでしょうか」


☆英国のセント・クリストファー・ホスピスで研修を受ける。


 この「医者というのは神父といっしょで、人間の魂に手を突っ込む仕事だ」ということばについては、遠藤周作さんの帰天(1996年)後、夫人の遠藤順子さんが上梓した『夫の宿題』(PHP研究所、1998年)の内容にもふれた『内藤いづみ対談集 あなたと話がしたくって』(オフィス・エム、2001年)「私の宿題〈よき別れのために〉――遠藤順子」のなかで、内藤さんにとって遠藤さんからの「宿題」、また、順子夫人の「医療の根源にあるもの」について、次のように語られています。


内藤 周作先生は、〈医者と小説家と神父は魂の中に手を突っこむ仕事〉だっておっしゃいましたけど、今、魂に手を突っこむ医者がこの国には、何人いるのかって思いますね。魂に触れる仕事だって自覚のもとに、患者と家族のたいせつな時間をみんなで見守るような医療ができる医者と看護婦だったらいいんですけど、人間は魂とかスピリチュアルな存在だっていうことを、私たち医療者はもうちょっと突っ込んで勉強していかないと、本当のターミナルケアは難しいという感じがしますね。


遠藤 この間、アンドルー・ワイル(アメリカの心身医学者)さんの講演を聞いたのね。治療と医療は違うって話をされたの。医療のいちばんの根源にあるものは、ヒーリングだって。医療者側がターミナル患者の心というか魂というか霊的なものを癒す意志がなければ、患者の自然治癒力っていうのは出てこないって。本当にそうだと思いますよ。やっぱり、今までの――アメリカでもそうらしいんだけれど……。成績のいい順に医者をとっていたけど、もう今はそれではだめだ、特にターミナルに関係する医者はそれではだめだと。ヒーリングっているのができるかできないかは、個人個人の感性にかかっているんですよ。感性のいい人を医者にしなければだめだって。


 感性っていうのは、何も贅沢な生活をするってことじゃなくて、自然からいろんなものを感じ取れる、それからいい芸術を見て心に深く何かを感じる。そういうことで、小さいときから感性を養ってきた人がターミナルの医者になってくれないと、やっぱり病人の苦しみとか悩みとか悲しみとか、その感覚をわからない人はだめですね。


内藤 医者だけでなく、いろんな人たちの心が固執的(※他人の意見に耳を貸さず、自分の意見を主張して譲ろうとしないこと。立場や態度を一切変えようとしないこと)になっていますね、今の日本は。

(『内藤いづみ対談集 あなたと話がしたくって』73~74ページ)


 ふつうなら、勤務医として病院で「患者を治す」道を選ぶところですが、のちに内藤さんは在宅で死と向かい合うターミナルケア、在宅ホスピス医への道を進むことになります。


 1986年、英国人のピーターさんと結婚して英国に渡った内藤さんは、近代ホスピス運動の創始者、シシリー・ソンダース女史とめぐり会い、彼女が開設したセント・クリストファー・ホスピスで研修を受けました。そして、新しく開設されたデイホスピスケアで、「鍼」も使う〈東洋人の女医〉として7年間をすごしたのち、夫や子どもたちとともにイギリスから故郷である山梨県甲府市に移住し、そこでふじ内科クリニックをオープンすることになります。


☆「それを作ってください」「わかった。きっと作ります」


 英国から帰国した翌年、山梨県甲府市で病院の勤務医になった内藤さんが、地元紙・山梨日日新聞に英国のホスピス事情を連載したことをきっかけに、それに賛同する有志が集まり「山梨ホスピス研究会」が発足しました。


 あちこちで講演も頼まれるようになります。そして、当時、内藤さんが勤務していた甲府市内の病院にも、ガン患者やその家族が訪ねてくるようになったのです。


 直腸ガンの再々発で、すでに3回の手術を受け、外科医には転移した片肺の手術をすすめられていましたが、「もう手術はしたくない。自分には家族とすごす、いまという時間がとてもたいせつなのだ」と考えている、藤本さんがやってきました。


 「がんでも痛みはがまんしなくていい」という講演を聞いた藤本さんは、どうか最期まで痛みのないようにしてほしい。それともうひとつ、「うそをつかないでほしい。これまでの主治医は本当のことを言ってくれなかった。私は自分のことをちゃんと知っておきたいのです」というのです。


 「わかりました」と、内藤さんは答えました。


 内藤さんは、藤本さんとの約束を守って、痛みが出た時点でモルヒネを処方し、6日目には95パーセントの痛みがなくなりました。もう一つの約束である、うそをつかないという約束も守りました。脳に転移が起きたときも、奥さんと相談してそのことを正直に伝えました。


 『最高に幸せな生き方、死の迎え方』(内藤いづみ著、講談社、2003年)には、もう一つ、藤本さんと内藤さんが交わした約束、それは「ふじ内科クリニック」のオープンにつながる約束であり、内藤さんが「在宅ホスピス医」として独り立ちする決意につながる約束———について書かれています。


(※しばらく、内藤医師が往診していたが)それでも最後の一カ月は入院しなければならなかった。藤本さんのいる個室には、奥さんと子どもさんがみえていて、いつも明るく、とても末期がんの患者さんの病室には思えなかった。藤本さんの誕生日には、ご家族のほかに看護師さんや薬剤師さんも集まって、ワインで乾杯した。その数日後、藤本さんはご家族の見守る中で永眠した。


 藤本さんの最期の日々は安らかだった。でも、本当は最期までずっと家で過ごしたかったのだと思う。藤本さんはがんになってから、ご家族のために新しく家を建てた。もし在宅ケアをするチームがあれば、入院することなくずっとその新しい家に留まることができたのだ。


 「先生、私がもうちょっと生きられたら、どんなかたちでも先生を支援してあげられるんだけど。先生、何がしたいですか。あと半年生きられたら、どんな助けができますか」


 藤本さんはそんなふうに言ってくれた。


 「私はいま勤めている(※勤務医)けど、自分で小さな診療所を作って、在宅看護の看護師さんが訪問すれば、藤本さんだって最期までおうちにいられたんだよね。ごめんね」


 「じゃ、先生。それを作ってくださいよ」


 「わかった。きっと作ります」


 それが藤本さんとの最後の約束だった。 

(『最高に幸せな生き方 死の迎え方』81ページ)


 内藤さんはいまも、ホスピスケアを患者の家で実践する「在宅ホスピス医」として、地域に根差した「心あたたかな医療」を支え続けています。


❤ マザー・テレサのことば 11

平和は微笑みから始まります。(Peace begins with a smile.)

コメント


記事: Blog2 Post

▶当会における「プライバシーポリシー」について
*当協会が個人情報を共有する際には、適正かつ公正な手段によって個人情報を取得し、利用目的を「事例」に特定し、明確化しています。
*個人情報を認定協会の関係者間で共同利用する場合には、個人情報の適正な利用を実現するための監督を行います。
*掲載事例の無断転載を禁じます。

▶サイト運営:全国メッセンジャーナースの会(東京都新宿区) ▶制作支援:mamoru segawa

©2022 by メッセンジャーナース。Wix.com で作成されました。

bottom of page