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看護師の心に潜んでいるおごりの精神

  • 4月18日
  • 読了時間: 3分

 「残しておきたい7人のコラム」から、村松静子さんの「起業家ナースのつぶやき」を紹介しています。今回は「看護の自立をはばむもの その5」です。

vol. 18

看護の自立をはばむもの その5

2002-11-2

 

おごりの精神


 看護師の心に潜んでいるおごりの精神は、とかくその受け手の心を傷つける。看護師自身は気づかなくても、得意になっている様やたかぶっている様が、その素振りや発する言葉の端々に顔を出す。それが受け手を不愉快にさせる。「してやっているのよ、看てやっているのよ」と、恩着せがましく身勝手に映るからである。本来は誰でも、他人に気を遣わずに自分の思い通りに行動することを望む。しかし、病気や加齢によって身体機能が低下したり、症状が出現してくると、それがなかなか思い通りにはいかなくなる。それでも、「させている、看させてあげている、教えてあげている」と思えるのならまだいいのだが、そのような状況下で優越意識を抱ける人は少ないはずである。多くの人は「してもらっている、看てもらっている」という感覚をもつであろう。そうなると惨めな自分の存在を感じる。「私には生きている価値がないのではないか」と問うようになる。そして、せめて「あの人にしてもらいたい。看てもらいたい。あの人でなければ」と訴える。あの人とは、自分の存在を認めてくれる人である。そのような訴えが看護の現場で増えているように思う。


 看護の本質はいつの時代になっても変わらない。しかし、資格をもつ看護師に求められる看護機能は明らかに変わってきている。そのため、変わらないはずの本質までもが変わってしまうような錯覚に陥ることがある。


 ここ数年前から、看護師が行う看護はサービスの1つであると強調されるようになった。自分たちの仕事を聖職と受け止めていた看護師にとっては衝撃的な方向性である。しかし、その戸惑いは戸惑いとして、看護師が個人として提供する看護が選ばれる時代に入ったというのは明らかである。私たち看護師には、受け手が求め、その周辺が認める看護を提供することが求められている。頭ではわかっているようでも、いざ行動化となると、そう簡単にはいかないのが看護だ。そこに潜んでいるおごりの精神が顔を出す。看護師の押し付けや自己満足がまかり通るはずもなく、それがクレームとなって跳ね返ってくる。「あなたは看護の専門家でしょ? 私に何をしてくれるの。私の思いや考えを尊重しながら看護してほしいの。私はあくまで私なのよ」。看護師はその言葉や態度が気に入らない。「看てあげようと思ったけど、あの人はわがままよ」とは言わなくても、心で密かに思っている。その密かな思いが受け手には伝わる。


 今の時代は看護師にとっても正念場。逃げるのではなく、受け手の気持ちを受け止めようという積極的な関心がそこには必要なのである。向き合うことによって始めて互いの感情が行き交い、そこに信頼が生まれる。看護師は、己の行動パターンを認識しておかなければならない。


 サービスとしての看護機能は今後もさらに広がり続けるであろう。そこで不可欠なのが『看護の自立』である。それは私たち看護師一人ひとりの意識と行動にかかっている。


 「看護師さん、あなたたちは医師のかばん持ちではありません。看護師さんには看護師さんのすることがあるはずです」と言われて17年、やっと「あなたの看護は自立していますか」と問われる時代がやってきた。受け手にしっかり向き合ってこそ味わえるプロの醍醐味がそこにはある。

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