「泣いて生まれて、笑って死ぬ」
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原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回から、第八章「遠藤さんの宿題」に入ります。
第八章 遠藤さんの宿題
――「泣いて生まれて、笑って死ぬ」1
1.クオリティ・オブ・デス(安らかな死)を考える
☆「延命を目的とした医療措置」の選択を迫られる家族
7年前、文教大学越谷校舎オープンユニバーシティ(生涯学習講座)で行った講座、「からだをゆるめ、こころをほぐす」第5回(最終回)のテーマは、〈からだ・いのち・たましいを考える〉でした。この講座では、いわゆる健康寿命(あまり他人の世話にならず、自立して生活できる生存期間)を延ばすための健康ノウハウを学ぶのではなく、誰もが望んでやまない、「クオリティ・オブ・デス(安らかな死)」を迎えるための手がかりをさぐる講座です。
1回目の講座では、「この世でいちばん確かなことは、人間の死亡率は100パーセント、人間はいつか必ず死にます」という厳粛な事実と、「もう一つ確かなこと、それはだれでも死ぬまでは生きています」という明白な現実を示した上で、「それでは、私たちがいつか死ぬ、その日までどう生きるか、楽しく生きたいか、いやいや生きたいか、それを考えましょう」と提案しました。
当時72歳だった私と、同い年の受講者が手を挙げて、「リビングウイル(事前意志表明書)もとり上げますか?」と質問されました。
「はい、5回目の講座でとりあげる予定です」と答えましたが、その質問には、リビングウイルの考え方だけでなく、「終末期医療における事前指示書」の具体的な文例も含まれていました。
近年、医療機関や介護施設では、終末期を迎えようとする人の「死の迎え方」について、病院でのカンファランス(今後治療方針についての話し合い)が行われることが多くなりました。まれに患者自身も参加しますが、ベッドで寝たきりの状態の場合には、患者の家族と医師、看護師、栄養士(※ときには介護士、ケアマネージャーも)が参加して、きたるべき「死の迎え方」について話し合われます。ときには、医療(介護)側から、患者の容体について医学的な説明があり、「延命を目的とした医療処置」を家族側が選択するか否かを迫られます。
ところが、難しい専門用語がよくわからない家族が「それをしないと、死んでしまうのですか?」と質問すると、「はい、その通りです」という答えが返ってくるので、家族はパニック状態となり、「それでは(延命治療や生命維持装置の使用を)お願いします」と返事してしまうケースが少なくありません。
ほとんどの場合、延命を目的とした医療処置とは何か、その具体的な中身が家族側に伝わっていません。医療側は「こんなことは、すでにインターネットや医療関連書籍でご存じでしょう」的な感覚で、かつ官僚的なルーチン(型通りの手順)にしたがって、必要な項目チェックを行う場合が多いのです。
これでは、人生の最終章を迎えようとしている人の尊厳に対する、医療側の「レスペクト(敬意を払う)」がほとんど感じられません。
☆「御臨終ですから、どうぞお入りください」
夫の最期を看取った順子夫人のエッセイ『再会――夫の宿題 それから』(PHP文庫、2002年)の第2章「お医者様におねがいしたいこと」に、「人工呼吸器をはずしたあとは5分しかいない」と題する一文があります。
遠藤さんは大学病院に入院中、原因不明の熱と抗生物質の投与との追っかけっこで、急速に体力が落ちていたところへ、食べ物の誤飲から重篤な肺炎を引き起こしてしまいます。そして……。
バタバタと医者や看護婦が歩き回る中で、「奥さんは部屋から出てください」と言われて部屋から出されました。
その後、主治医から「自発呼吸がまだありますが、それだけでは不十分なので人工呼吸器をとりつけました」と事後承諾的な説明を受けました。そして、部屋に入った時はもうゴウゴウという機械の音で、私の声など聞こえる状態ではありませんでした。人工呼吸器なるものを見たのもその時がはじめてでした。
それでも医学的な知識のない私は、人工呼吸器で息が楽にできるようになって明日か明後日になれば状態がよくなって、この人工呼吸器ははずされるものと思っていたのです。
ターミナル期を迎えたご家族をお持ちの方々に申しあげます。人工呼吸器をつける必要が生じた場合は、必ず事前にそのことの可否を家族に尋ねてほしい旨を前もって医療側に念を入れ、数回申し入れをしておくべきだと思います。(中略)
そのまま臨終を迎える場合は、人工呼吸器を一度とりつけてしまうと、スイッチを切ってから亡くなられるまでは、たった5分ほどしかないことを覚えておかれるほうがいいと思います。
主人の臨終のあの時、スイッチが切られたあと、体に入っているすべての管をとりのぞいてもらうことを、よくぞ思いついたと思います。神様のお恵みと主人からの強い意志を、テレパシーで感じることができたおかげだと今でも思っています。
「ご臨終ですからどうぞお入りください」と言われて部屋に入ってから、わずか5分というのは非常にきびしい条件ですが、それでも人工呼吸器に附随している管をとりのぞいてもらえば、亡くなっていく人からのメッセージは、最愛の方々には何らかの形で必ず伝わると思います。私の場合はそうでした。どうかそのことを覚えていらっしゃってください。(中略)
日野原先生は亡くなっていく人が、家族から励ましや感謝や安らぎを伝えられて心から癒され、また亡くなっていく人のそのような姿を見て家族も癒されていくことで、はじめて安らかな死は成就すると言っておられます。
(『再会――夫の宿題 それから』86~88ページ)
いきなり病室から追い出され、勝手に人工呼吸器をとりつけられ、臨終を告げられた順子夫人の、悲鳴のような叫び声が聞こえてくるようです。
十年ひと昔といいますが、いまから23年前の大学病院では、治療にあたる医師の判断で人工呼吸器をとりつけ、心肺蘇生措置を施し、それでも回復する見込みがなくなったときに初めて、家族は「人工呼吸器を外しますか?」と聞かれるのです。そして、人工呼吸器を外すことへの同意は、愛する家族の手で患者の「死」を選択することなのです。
☆千葉県医師会が作成した『わたしのリビングウイル』
医療側がいう延命治療(延命を目的とした医療処置)とは、具体的にはどのような処置をいうのでしょうか? 千葉県医師会が作成した『私のリビングウイル(Living Will))』(事前意志表明書・2019年4月第9版)には「延命治療のために行う全ての医療処置」について、具体的な説明が書かれています。
(1)全ての医療処置とは、(2)~(4)を含めた「延命のために行う全ての医療処置」を指します。
(2)高カロリー輸液による栄養補給は、高カロリーな点滴薬を点滴により血管内に供給します。また、胃ろうによる栄養補給とは、内視鏡を使ってお腹に小さな穴を開ける手術を行い、この穴を通 して直接胃に栄養剤を補給するものです。この他に鼻チューブにより直接胃に栄養剤を補給する方法もあります。
(3)人工呼吸器を装着した場合には、死亡するまでの間、原則として人工呼吸器を外すことはで きません。死亡するまでの期間は、それぞれの方の状態により異なります。
(4)心肺蘇生とは、死が迫った時に行われる延命処置であり、心臓マッサージ、気管挿管、気管 切開、人工呼吸器の装着、昇圧剤の投与等の医療行為をいいます。これらの行為により、一時的に呼 吸や心拍が戻ることがあります。
(5)「痛みや苦しさの程度に応じた鎮痛剤や鎮静剤の使用」を希望した場合、痛みや苦しさが強い時には強い鎮痛剤や鎮静剤を使用することになり、意識の低下等が起こります。意識の低下等を避 けたい場合には、「希望する」に○を付け、さらに、(6)で「意識が低下するような強い鎮痛剤等 の使用はしないでほしい」旨を記載します。
(6)「その他」については、受けたい医療についてご自由にご記入ください。
(例)延命処置は希望しないが、自分で呼吸ができ心臓が動いている間は、末梢静脈及び皮下からの 点滴による水分補給と苦痛の軽減を希望する。この際、意識が低下するような強い鎮痛剤等の 使用はしないでほしい。
(『私のリビングウイル』千葉県医師会2019年4月作成、第9版)
何よりも、家族と医療側とのカンファランス(医師や看護師、介護士のほか患者や家族も参加し、治療についての情報共有やケアプランについて話し合う)で説明される、胃ろうや心肺蘇生など、難解な専門用語の意味をよく理解した上で、「クオリティ・オブ・デス(安らかな死)」を迎えるための選択は何かを考える必要があります。
しかし、だれにでもあてはまる最適解は、ありません。また、たとえ自分の死を間近にした本人が書いたリビングウイル(終末期の医療・ケアについての事前指示書)があったとしても、愛する人の体調の急変、痛みや苦しみを目の当たりにした家族の心は、千々に乱れ、右に左に大きく揺れるのです。
ふだんから、家族みんなで「一人称(わたし)の死」を話し合ったことのある家庭では、ひとり一人の「クオリティ・オブ・デス(安らかな死)」について、共通の理解があるでしょう。しかし、それでも人の気持ちはそのときどきで変わるものですから、家族のひとり一人が「リビングウイル」を書くことによって、「一人称(わたし)の死」と向き合う機会をもつ必要があると思います。
♣ エリザベス・キュブラー・ロスのことば 1
人はステンドグラスの窓のようなもの。太陽が出ればそれは光り輝くが、その真の美しさが姿を現すのは辺りが暗くなったとき、そこに内側から放たれる光があったときだ。(People are like stained-glass windows. They sparkle and shine when the sun is out, but when the darkness sets in, their true beauty is revealed only if there is light from within.)



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