top of page

「安楽死」に近い「自然死」を望んだ橋田壽賀子さん

  • 4月26日
  • 読了時間: 8分

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、第八章の2「『安楽死』に近い『自然死』を望んだ橋田壽賀子さん」です。


2.「安楽死」に近い「自然死」を望んだ橋田壽賀子さん


☆死に方とその時期くらい自分で選びたい。


 テレビドラマ『おしん』、『渡る世間は鬼ばかり』などの脚本家・橋田寿賀子さん(93歳)が亡くなる4年前に上梓した『安楽死で死なせてください』(文春新書、2017年)で、表紙カバーに「人に迷惑をかける前に死に方とその時期くらい自分で選びたい」と書いて大きな話題となったことがあります。橋田さんは、「無駄な延命はやめてください。お葬式はいりません。偲ぶ会もやめてください。マスコミには黙っていてください」という遺言(リビングウイル)をすでに認め、周囲にもそう頼んでいたのだそうです。橋田さんの「安楽死宣言」をきっかけに、「安楽死」の大論争が起こりましたが、ほとんどが議論のための議論に終始しました。


 その後、橋田さんはオランダで認められているような「安楽死」ではなく、専門の在宅医に「安楽死」に近い「尊厳死」「自然死」、「平穏死」が迎えられるようにお願いしたといいます。


☆「尊厳死」、「安楽死」、「平穏死」、「自然死」――それぞれの「死の迎え方」


 そこで、「尊厳」「安楽」、「平穏」、「自然」の意味を、手許の国語辞典で調べてみました。


 安楽(あんらく)とは、心身がおだやかで、満ち足りていること。尊厳(そんげん)とは、尊く厳かなこと。気高く犯しがたいこと。平穏(へいおん)とは、変わったこともなく、おだやかなこと。自然(しぜん)とは、人間の手の加わらない、そのもの本来のありのままの状態。自然(じねん)とは、自ずからそうであること、あるがままの状態をいう———と出ていました。


 このなかで、自然(しぜん)は、明治時代にnatureの邦訳として、それまで用いられていた仏教用語の自然(じねん)と異なる発音によって、同じ漢語(自然)を二つの意味に使い分けたものです。これらのうち、尊厳と自然(しぜん)には〈外からの介入や支援を寄せつけない〉きびしさが、そして安楽(あんらく)と平穏(へいおん)、自然(じねん)には〈その状況をありのまま受け入れる〉やわらかさ、おだやかさがあるように思います。


 また、「安楽死」ということばには、橋田寿賀子さんが当初希望した「積極的安楽死(致死性の薬による死。自分自身が行うときは自殺)」から、「消極的安楽死(一切の医学的延命措置を行わずに死を迎えることで、橋田さんはこのことを「安楽死」に近い「自然死」と表現している)へと気持ちを切り替えたように、今ではかなり幅広い「死」の解釈がなされています。


☆「よき死」とは、「よき生」を生き切って、あとは「お任せ」


 2018年2月、私は第35回日本東方医学会(学術大会)の会頭を務めましたが、シンポジウムのテーマに「クオリティ・オブ・デス(安らかな死)をめざす東方医療」を選びました。つまり、クオリティ・オブ・デス(死の質)の概念を、「安楽(あんらく=心身がおだやかで、満ち足りている状態)で、自然(じねん=あるがまま、そのまま)迎える死」を、ひと言で「やす(安)らかな死」と表現することで、〈安らかな眠りにつく・心安らかな顔・安らかな旅路をたどる〉死のイメージをとらえようと考えたからです。


 シンポジストの一人、龍谷大学大学院教授(仏教学者)で佐藤第二病院院長(医師)である田畑正久さんは、『東方医学』Vol.34 No.1に載った講演抄録のなかで、この「安らかな死」から、さらにGood Life(よき生)を生き切って迎えるGood Death(よき死)へと積極的なとらえ方を提唱しています。


 2010年5月に開催された第8回英国緩和ケア関連学会の報告記事によると、医療の中でこれまでタブー視されてきた「死」を「誰にも訪れる必定」ととらえ直すこと、そして、これまでのCure(※治療)をめざす医療を、Good Deathを包括する医療へと転換していくという流れが、世界の医療界に出てきたということです。Good Death、「よき死」です。


 従来、「死」は不幸の完成であると考えていたけれど、どうも私たち人間の人生という全体を眺めたときに、人間に生まれてよかった、生きてきてよかった、仏教で言うならばあとは「お任せ」という形で、もう何の心配もないと受けとめられて、その人なりの人生を生き切っていく世界、日本人1億2000万人が本当に「よき生」を生き切ったとなる道ではないかということを、私は仏教の学びから教えられます。

(『東方医学』Vol.34 No.1 16ページ)


☆「リビングウイル」は、〈いのち〉の遺言状。


 さて、〈いのち〉の遺言状とも呼ばれる「リビングウイル(終末期医療における事前指示書)」には、どのような項目があるのでしょうか。


 さきほど、千葉県医師会が作成した「延命を目的とした医療処置」について説明を載せましたが、次に紹介する書式は、「リビングウイル――人生の最終段階における事前指示書」(公益財団法人 日本尊厳死協会、2022年11月改訂版)の冒頭部分です。


 「リビングウイル――人生の最終段階における事前指示書」


 この指示書は私が最後まで尊厳を保って生きるために私の希望を表明したものです。


・私に死が迫っている場合や、意識のない状態が長く続いた場合は、死期を引き延ばすためだけの医療措置は希望しません。


・ただし私の心や身体の苦痛を和らげるための緩和ケアは、医療用麻薬などの使用を含めて十分に行ってください。


・以上の2点を私の代諾者(患者が意思表示できなくなった時に、患者の代わりに患者の意思を伝える人)や医療・ケアに関わる関係者は繰り返し話し合い、私の希望をかなえてください。


 私の最期を支えてくださる方々に深く感謝し、その方々の行為一切の責任は私自身にあることを明記します。


 また、同協会の会員向け文書「私の希望表明書(1)」と「私の希望表明書(2)」から、それぞれおもな3項目を選んで、□(選択肢)の内容を見てみます


「私の希望表明書(1)」


 希望する医療措置について □点滴 □輸血 □酸素吸入 人工呼吸器装着 □人工透析 □抗がん剤 □心肺蘇生 □昇圧剤や強心剤


 希望する栄養や水分補給 □口から入るものだけを食べさせてほしい □状態に応じた少量の点滴 □胃ろうによる栄養 □経鼻チューブ栄養 □中心静脈栄養


 最期の過ごし方 場所 □自宅(自分の家・子供の家・孫の家・親戚の家:具体的な名前___ □自宅以外___ □高齢者施設の居室 □介護施設 □病院 □ホスピスや緩和ケア病棟 □分からない □その他___


「私の希望表明書(2)」


 私が大切にしたいこと


 医療ケアについて □何よりも痛み、苦しみ、不快感を取除いてほしい □これから予想される □医療者・介護者との信頼関係を築きたい □揺れる気持ちを受け入れてほしい


 自立について □できるかぎり自立した生活をしたい □自分で食事を口に運びたい □できるかぎり自分で排泄をしたい


 尊厳について □弱った姿を他人に見せたくない □人に迷惑をかけたくない □社会や家族の中で役割があってほしい □私が生きてきた価値を認めてほしい □敬意を持って接してほしい


☆死んでも死なぬ、永遠の〈いのち〉を生きる。


 日ごろよく耳にする「クオリティ・オブ・ライフ」(QOL:Quality Of Life)ということばがあります。日本語では「生活の質」などと訳されますが、「人生の生き甲斐・暮らしの満足度」などの意味で使われています。


 とくに医療・介護の分野では、患者(介護施設では利用者)とその家族が「かくありたい」と望んでいる生き方、「ウエイ・オブ・ライフ」(WOL:Way Of Life)の満足度を的確にとらえ、その人の生き方をしっかり支える「心あたたかな」ケアを行う上で、とても重要な考え方のひとつです。


 近年、「クオリティ・オブ・デス」は、ある個人の一時点での「死(肉体の細胞死、心停止、呼吸停止)」を意味する医学的な「デス(Death)」だけでなく、ある個人が死にゆく過程、「ダイイング・プロセス(Dying Process)や遺族に対する精神的な、「グリーフ・ケア(Grief Care)」を含む概念としての「ダイイング(Dying)」をより重視した「ナチュラル・ダイイング・プロセス(Natural Dying Process)という言葉であらわされるようになりました。


 いま生きている時間(ライフ・タイム)の「クオリティ・オブ・ライフ」と、いつかは必ず迎える終末期(ターミナル・ステージ)の「クオリティ・オブ・デス」との間に、生(ライフ)と死(デス)を区分けする一本の線を引く、つまり、「人間、死んだら、一巻の終わり」という死生観ではなく、仏教の死生観をあらわす「生死一如(しょうじいちにょ)」のように、「生と死とは切り離すことができない、ひとつのものである」という考え方です。


 私はそれをさら進めて、「生」と「死」をひとつに貫いて生きる、死んでも死なぬ〈いのち〉の視点をもちたいと思います。たとえば、英語の「クオリティ・オブ・デス」には「安らかな死を迎える〈生き方〉」、同じように「ナチュラル・ダイイング・プロセス」には「自然な死を迎える〈生き方〉」という日本語の文脈で考えてみたいのです。


 なぜ〈死に方〉ではなく〈生き方〉なのか、それは、私たち人間の死亡率は誰でも間違いなく100%、つまり人間はいつか必ず「死」を迎えるのですが、もうひとつ、「死を迎える」その瞬間までは確実に「生きている」ことから、人生の終点としての〈死に方〉ではなく、安らかな死を迎えるまで、いや死んだあともなお、悠久の〈いのち〉を生きる〈死に方〉に焦点を当てようと考えたからです。


♣ エリザベス・キュブラー・ロスのことば 2

死は日常で頻繁に起こるわけではないので、受け入れることは難しい。見る事はできないが、実際には日常茶飯事にそれが起こっているという事実にもかかわらず。It is difficult to accept death in this society because it is unfamiliar.In spite of the fact that it happens all the time, we never see it.

コメント


記事: Blog2 Post

▶当会における「プライバシーポリシー」について
*当協会が個人情報を共有する際には、適正かつ公正な手段によって個人情報を取得し、利用目的を「事例」に特定し、明確化しています。
*個人情報を認定協会の関係者間で共同利用する場合には、個人情報の適正な利用を実現するための監督を行います。
*掲載事例の無断転載を禁じます。

▶サイト運営:全国メッセンジャーナースの会(東京都新宿区) ▶制作支援:mamoru segawa

©2022 by メッセンジャーナース。Wix.com で作成されました。

bottom of page