top of page

私たちのしていることは大海の一滴に過ぎない

  • 3月22日
  • 読了時間: 8分

 原山建郎氏の新作『遠藤周作の「病い」と「神さま」』をお届けします。今回は、第六章の「3.二代目代表、和波その子さんが始めた、もう一つのボランティア」です。

3.二代目代表、和波その子さんが始めた、もう一つのボランティア


☆ 「視覚障害者の自由な外出を願って」


 先の「奥川メモ」によれば、初代代表は遠藤さんでしたが、遠藤さんが帰天後された翌1997年、和波その子さんが二代目代表に就任しました。


 和波さんは、生まれながらに視覚障害を持つヴァイオリニスト、和波孝禧(わなみたかよし)氏のお母さまで、遠藤ボランティアグループの病院ボランティアと並行して、1985年に発足させた「アカンパニー・グループ(視覚障害者の外出をサポート=、同行・介助する活動)」の代表も務めていました。


 和波さんは、アカンパニー・グループの小冊子『私とボランティア』の冒頭で、ボランティアの活動を「自分の内心の声に従って/見返りを求めず/相手を尊重し/責任を持って/対等の立場で/相手に又はその場に/必用のことを行う人/または行為」と定義しています。

 

 『ボランティアへの招待』(岩波書店編集部編、岩波書店、2001年)に、和波さんが2000年の夏、新聞広告で公募された「私とボランティア」に応募した手記、「視覚障害者の自由な外出を願って」が載っていました。


 そこには、遠藤ボランティアグループに参加したきっかけ、その後、視覚障害者の外出をサポートするボランティア活動を始めた経緯が書かれています。

 

気付き

 ボランティアに私が関心を持ったはじまりは、故遠藤周作氏がご自分の体験から、昭和五十七(1982)年春頃 〝心あたたかな病院〟運動を提唱され、その関連の新聞記事にある日、「患者の話を聞くボランティアを育てたい」「少し勉強して、聴くボランティアをしようと思う人は連絡を――」と書かれているのを読んだ時である。私は闘病の末の主人を見送ったあとで、カウンセリングの勉強を始めていたこともあり、「私で間に合うのでしたら」と応募した。やがてその秋、「遠藤ボランティアグループ」と名付けられて発足し、病院や患者さんの要望に応じられるメンバーになるべく、月一回の勉強会が計画され、各方面の専門家から貴重なお話を伺うこととなった。


 最も強いインパクトを受けたのは、次のお話(町井淑子氏の講話)で、それまであいまいだったボランティアに対する考えが、ストンと納得がいったのだった。『ボランティアは自己犠牲や奉仕とは違う。人間が生きていくための大きな欲求が五つある。即ち○生理的欲求、○安全の欲求、○社会的欲求、○尊重されたい欲求。そして五番目の「自己実現の欲求」の実践がボランティアである。自己実現を求めるには責任が伴う。故に責任を持ってボランティアを行うべき』、又『人間が持っている権利を、何らかの事情で行使できない人に対し、自分の権利を用いて手助けを行うのがボランティアの姿である』とも話された。このお言葉が私の心棒となり、支えとなって今に至っている。


 さて、昭和58(1983三)年から、二つの病院を訪れることとなり、ベッドサイドでお話し相手をする、私の〝病院ボランティア〟はこの後七年ほどつづいたのである。おくに蜜柑山の様子をぽつぽつと話される方、目を細めてお孫さんの可愛らしさを語る方、通っていた絵画教室の様子や、先生にほめられた時の思い出を話す方。


 信頼する医師や看護婦に囲まれていても、その方々は時間に追われ個人的な相手は出来ぬから、お話に合槌を打つ者の存在が喜ばれたようだ。私としては、病室で主人に付き添いつつ過ごした時間を、取り戻せるものなら……の思いでお話を聴いていた。訪問するのは長期入院の方なので、ほとんどむずかしい病気に冒されて居られ、何人もの方をお見送りした。ベッドの上でだんだん身体が小さくなり、声も低くなっていた方が、お約束の日に行くと、ベッドが空で「お帰りになりました」と看護婦さんから告げられ、呆然となったのも一、二度ではない。(中略)


まず始める

 視力を持たぬまま誕生した長男・孝禧(たかよし)が、音楽を好んだため音楽家、それもヴァイオリニストの道を歩むことになった道程を、私はずっと共に過ごしてきて、彼の結婚後も演奏活動には折々関っていた。昭和59(1984)年秋、彼の友人であるハンガリーの、全盲のピアニスト、ドボシュ氏を招いて、チャリティコンサートを行うこととなった。私は氏の滞在中の手引きをお頼みする組織をさがしたが、分ったのは、東京に籍のない人に対して援助するシステムが、国にも都にも無いということだった。


 東京を各地から上京される視覚障害者も多いのに、介助を引き受ける所が無いのが、私の心のしこりとなった。「どうしてどこもなさらない? どこかにお願いしようか」など、折にふれ考えているうち、「そうだ、ほかを頼るより自分でやればよいのではないか」とひらめいた。昭和60(1985)年の夏の日であった。視覚障害の方と歩くのが主眼だから、事務所は必要ない。真のボランティア精神で運営し、交通実費等は依頼者が負担すれば資金も不要。同じ気持で行動する人さえあればできるはずだ。


 年来の友人に相談したところ第三世。長男も「それはいい計画だ、早く始めて」とあおる。友人の一人は「よいことは軽はずみに始めるのがいいのよ」とそそのかすし、早くもメンバーを誘う方もあり、それらの情熱に押されて、いつも優柔不断の私も、エイッとばかり、その年の10月に最初の会を開いた。この時集まったのは17名。やがて私宅に専用電話一本と、留守番電話を入れ、これだけを〝もとで〟に、11月1日から受付を始めた。


 この発想の基には、長年の全盲の息子との生活の記録と、昭和39年、彼の演奏旅行と、世界盲人福祉会議出席の付添いでアメリカに行った際、活発なボランティアの姿に驚かされて以来、欧米を何度も旅行して得た体験から、私の裡に根をおろしていたものがあったのかも知れない。


アカンパニー

 会の名称を考えた。視覚障害の方を介助するのに、従来の日本語では〝誘導〟または〝手引き〟と、いずれも晴眼者(目の見える人)が視力を持たぬ肩を導いたり、引っぱったりする意味になるので、仕方なく外国語で〝同行する〟の意の〝アカンパニー〟を会の名と決めた。人間同士、助け合ってごいっしょに歩きましょう……というのが「アカンパニー・グループ」の趣旨である。


 晴眼者が思い立って旅に出るのと同じに、自由に安心して東京へ来られるようにとの願いから、依頼の目的、内容、時間に何の制限も設けていない。申し込みも24時間受け付ける。日本の場合、とかく「障害者」と「健常者」を区別して考えたり、「視覚障害者は、こう」と観念的に決めつけたりするが、各人それぞれ個性と特徴を持っておられる。その一人ずつの希望をよく聞いて、自主性を失わぬお手伝いがしたいので、申し込みは必ずご本人からの電話で受け、よく話し合ってお約束をする。(中略)綿密に打ち合わせた末、道順を説明し、所要時間を割り出して作成した〝依頼書〟により、当日のアカンパニスト(同行者)は、安心してご案内ができるようだ。(中略)このグループのメンバーになっても、会費はなく、寄附集めなどの義務も負わず、ただ当日のアカンパニーを果たすことと、月1回の例会に出るのがメンバーの証である。同行の際の諸費用は依頼者負担で、自分の交通実費も受け取るから、アカンパニストは収入も支出もない。「アカンパニー・グループ」は、私も含めて全員が無報酬であると同時に、いわゆる〝もち出し〟もないのである。


 こうして発足以来、行政からの援助は全く受けず、同一方針で独自の運営をつづけ、今年(2000年)で(活動開始)15年となり、依頼数は7月に5000件を越えたことを申し添えたい。

(『ボランティアへの招待』135~140ページ)


☆第13回ヘレンケラー・サリバン賞を受賞。


 2000年、和波さんは公益財団法人社会貢献支援財団から、平成12(2000)年度「多年にわたる功績・日本財団賞」(功績内容=昭和60年、「全国から人が集まる東京にも、視覚障害者のお手伝いをする団体が必要」と考え、視覚障害者支援のボランティア「アカンパニー・グループ」を創立。24時間態勢で依頼を受けて、全く初めての上京者でも安心・安全な活動が出来るように手助けをし、案内の実績は無事故で5000件を越えている)を受賞されました。さらに、2005年には社会福祉法人ヘレンケラー協会から、第13回ヘレンケラー・サリバン賞(視覚障害者の福祉・教育・文化・スポーツなど各分野において、視覚障害者を支援している「晴眼者」に、社会福祉法人 東京ヘレンケラー協会から贈られる賞)を受賞されています。

 

 遠藤ボランティアグループの初代代表をつとめた和波その子さんが蒔いた、「アカンパニー・グループ」というひと粒のえんどう豆は、残念なことに2011年、和波さん自身の健康上の理由からその活動を閉じました。


 しかし、和波さんの26年にわたる視覚障害者への支援ボランティア活動は、「心あたたかな病院(医療)がほしい」と強く願った遠藤周作さんと同じように、患者や障害者など弱い者への共感と連帯の思いでもあります。


 そして、和波さんのボランティア活動は、「苦しみの連帯」をテーマにした遠藤さんの著書『聖書のなかの女性たち』(遠藤周作著、角川書店、1960年)に書かれている、聖母マリアの「愛のはたらき」でもあったと思います。


 キリスト教作家である遠藤周作さんが書こうとされていた21世紀の『聖書物語』は、すでに新たなスタートを切っていたのです。


❤ マザー・テレサのことば 6

私たちのしていることは大海の一滴(ひとしずく)に過ぎない。しかし、私たちがそれをやめたら確実に大海からその一滴が減るのです。We ourselves feel that what we are doing is just a drop in the ocean. But the ocean would be less because of that missing drop.)

コメント


記事: Blog2 Post

▶当会における「プライバシーポリシー」について
*当協会が個人情報を共有する際には、適正かつ公正な手段によって個人情報を取得し、利用目的を「事例」に特定し、明確化しています。
*個人情報を認定協会の関係者間で共同利用する場合には、個人情報の適正な利用を実現するための監督を行います。
*掲載事例の無断転載を禁じます。

▶サイト運営:全国メッセンジャーナースの会(東京都新宿区) ▶制作支援:mamoru segawa

©2022 by メッセンジャーナース。Wix.com で作成されました。

bottom of page