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絶対と思われている「倫理」も変わる

  • 28 分前
  • 読了時間: 5分

 「残しておきたい7人のコラム」から、安藤武士さんの「医師として、武士として」を紹介します。今回は『「倫理」の変遷』です。


vol.11

「倫理」の変遷

2003-5-28


 「倫理」という言葉が、つねに医師を監視している。「告知と同意(インフォームド・コンセント)」、「自己決定権」、「情報開示」など、現在は当然と思われていることでも、かつては耳にしなかった言葉である。小生の手元に、日本医師会発行(平成12年)の「医の倫理要綱」という冊子がある。その中の「医の倫理の変遷」と題する文を記す。


 「……。そもそも医の倫理に関しては、これまで、西洋では古代ギリシャのヒポクラテス学派の考えが踏襲されてきており、東洋では伝統的に『医は仁術』とされてきた。このように、洋の東西を問わず、医療については専門家である医師に任せること、そして医師は親が子を思う気持ちで誠意をもって患者に尽くすこと(パターナリズム<父権主義>)が強調され、医師と患者との間にそれなりの信頼関係による医療が成立していた。


 しかし、20世紀半ばになると、医学および医療が急速に進歩し、脳死や臓器移植などの高度かつ複雑な医療関係が登場してきた。その一方で、医療情報の普及により医療にたいする一般の人たちの関心が増大し、さらに近代民主主義国家の発展。医療保険制度の普及に伴い、国民の医療を受ける権利が主張されるようになってきた。


 …………、ヒトを対象とする医生物学的研究における被権者の人権擁護を目的とし『ヘルシンキ宣言』を採択した。さらに、1975年の(世界医師会)東京総会においてその改正案を、採択し、インフォームド・コンセント(informed consent)が不可欠であることを宣言した。この宣言はその後、数回にわたり改正されているが、医の倫理として広く各国で承認されている。……」


 小生は、「医は仁術」、「パターナリズム」の時代に医学教育を受けた医師である。小生が関係した医療分野では、理論的には外科治療で救命できる可能性があるものの、治療法が確立されていない疾患が多かった。「座して死を待つ患者」に病態、予後を説明しただけで、成功率の高くない手術を行うことがあった。そのため「インフォームド・コンセント」という言葉こそなかったが、いま以上に、手術の必要性を理解していただけるよう精魂込めて説明した。しかし、納得していただけるような治療成績を示すデータは少なかった。


 心臓外科の開拓の歴史を観ても、医師が説く「治療の必要性」がすべてであった。医師の誠意と熱意が患者の判断材料であった。当時の心臓外科という分野は十分すぎるほど「パターナリズム」が支配していた。その中で心臓外科の治療法は開発され、現在の基礎を創った。


 「心臓外科の歴史―その技術を拓いた先駆者たち」(S.L.ジョンソン著、二宮陸雄訳:中公新書、1973年発行)の目次を見ただけで創生期の外科医の「倫理」が理解できる。「心臓弁膜症への挑戦」と題する章には、手術に挑み成功、肺動脈血栓症に挑戦、手術の失敗に終止符を打つ、さまざまな努力のすえに、先べんをつけた手術、息づまる手術の光景、感動のどよめき、殺到する見学者たち、劇的な講演風景、試行錯誤なかで、ベイリーの決意、多くの失敗の中で、非難がうずまく、秘そかな手術計画、報いられた努力、など、今ではすべてが議論を呼ぶ題名である。


 「秘かな手術計画」と題する僧帽弁狭窄症に対する手術に関する一文を記す。『1948年、6月10日の朝、ベイリーは青年をフィラデルフィア総合病院の手術室に運んだ。ベイリーは、青年の胸部を開いて心臓を露出させた。(略)。ベイリーは指を(心臓の)左心耳から入れ、僧帽弁(口)を拡大した。だが、すでに遅く、患者は手術台の上で死んでしまった。ベイリーは、例の計画を実行した。車で、病院を離れた彼は、数分後にエピスコバル病院の手術室にいた。朝の死亡ニュースはまだ拡がっていなかった。グローバーとオニールを助手にして、彼は若い婦人の手術にとりかかった。指を左心耳から入れると、皮のようになった僧帽弁が触れた。(略)。手術は信じられないほどうまくいった。(略)。術後経過も良く、三日目にはベッドから下り、歩くこともできた。(略)』


 ベイリーは、それまで3人を死に追いやっており、内科医たちは彼に患者を送ろうとしなくなっていた。彼は、「状態がどうみても致命的あるいは絶望的な様相を示している場合には、いちかばちかの方策でも救いとなる。蛮勇も、時には危険のないものとなる」と書いている。世界ではじめて心臓内手術に成功したベイリーの「倫理」が、心臓外科の道を拓くきっかけを創った。


 ベイリーが成功したのは、小生が外科医になった年の20年前にしか過ぎない。当時は、患者さえ了承すれば医師の考えで患者の生死を左右する手術が許された。今では新しい手術は医師、個人の「倫理」で行うことは許されない。機関の「倫理委員会」で審議され、その経過が開示されてから行われる。医療が多岐にわたり分化し高度になった現在、1948年のベイリーのようにはいかないのである。患者のみならず医師の倫理観、価値観も多様化しており、個人の判断だけでは「独善」といわれてしまう時代になってきている。「犯罪行為」とさえいわれることもある。移植医療、生殖医療はその代表であろう。


 小生は、パターナリズムが良いとか悪いとかを論じたいのではない。絶対と思われている「倫理」も変わるということを知らなくてはならないと言いたいのである。これが、このコラムの結論である。余話を記す。


 1980年、5月、小生は、サンフランシスコで開催された米国胸部外科学会に参加した。心臓の僧帽弁に人工弁を装着する手術を僧房弁置換術というが、それに用いる人工弁を開発したビジョルク博士が手術後の5年、10年を経た成績を発表した。演者と聴衆との意見の交換となった。すると、かくしゃくとした老人が発言を求めた。その老医師は、「私が開発した僧帽弁の手術は、30数年たったいまも行われている」と誇らしげに語った。発言者は、ベイリーその人であった。

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