従来の思考方法の変革が必須
「残しておきたい7人のコラム」から、から、安藤武士さんの「医師として、武士として」を紹介します。今回は『流行 』です。

vol.16
流行
医学・医療にも流行がある。先日、医学書の出版社より、近く刊行される書籍が収載されたパンフレットが送られてきた。「EBMの手法による肺癌診療ガイドライン」、「最新エビデンスに基づく胃がん診療ガイド」、「最新エビデンスに基づく乳がん診療ガイド」、「エビデンスに基づいた急性膵炎の診療ガイドライン」、「ヘリコバクター・ピロリ胃炎『エビデンスとプラクティス』」など、表題に「エビデンス」という文字がやたら目に付くのである。
紹介文を記す。「本書は、胃がん診療に関する最新のエビデンスを、六つのテーマに分けて整理したハンドブックである」、「乳がんに関するエビデンスを紹介した乳がん診療のガイドブックである」などと記されている。学会や研究会でも、「…という、エビデンスがあります」、「このエビデンスに基づき…」という発言を耳にすることが多い。行政に関する書籍でも、「Evidence Based Health Policy Making(証拠に基づいた健康政策策定)」とか「健康作りの総合対策に…、どのような成果が得られたかをEvidence- based Medicineの視点より…」というように、今は、「エビデンス」や「EBM :Evidence-based Medicine」という言葉が、医学・医療界に満ち溢れている。
「エビデンス(evidence)」は辞書には「証拠」と記されているが、「科学的根拠」と訳されることもある。「EBM」は「(有効であるという確かな)証拠に基づいた医療」、「(有効であるという確かな)科学的根拠に基づいた医療」という意味である。では、今日の医療が「証拠に基づいた医療」なら、今まではなんに基づいた医療だったのであろうか。どこが違うのであろうか。気になるのは、小生だけではないと思う。
医師自身は、従来から「確たる根拠に基づいた医療」を行っていたと思っている、していたはずである。しかし「解説書」によれば、今までは病気の発生機序を理論的・科学的に考えそれを根拠に用いる薬が「効くはずである」、病気が「治るはずである」と医師個人の原理的・理論的な専門知識と治療経験により医療は行われていた。理論的にその薬が「効くはずである」ということと、実際にその薬で「病気が治る」こととは同一ではないという。必ずしもその「有効性」が証明された医療を行っていなかったということになる。扱う病気は同じでも、患者が異なり診療する医師が異なれば検査・治療は異なるのは当然であるという医師の「自由裁量権」の名のもと、長年、医療は行われてきた。極端にいえば、「独りよがりの医療」でも、結果がよければ受け入れられてきたのである。それが今までの医療の主流であった。
「EBM」という言葉が初めて医学で用いられたには1991年のことで、カナダのGordon Guyattの短い論文に端を発するといわれている。10年ほど前、日本に上陸し、またたくまに流行し、今では日常的に用いられている。
「有効であるという確かな『証拠』に基づく医療」というのであるからには、その「証拠」はどのようにして求められるのであろうか。現在では、最も信頼性の高い「証拠」は、統計学的手法(ランダム化:無差別比較試験)によって得られるとされている。患者に、無差別に選択した-くじ引きでも良い-治療を行いその結果を他の治療成績と統計学的に比較し、高い確率で患者に良い結果をもたらす医療が「証拠に基づく医療」、「科学的根拠に基づく医療」という。
初めて「EBM」の概念に接した医師は、どんな医療にせよ「理」にかなった治療、患者のためになる医療をすることは当然のことで、いまさら-と思うであろうが、医療全体に与える影響はかなり大きいといわれている。手元にある福井次矢氏著「EBM 実践ガイド」には、次のように記されている。「EBM」を行うことは、(1)偶然性の強い個人的経験・観察に基づく医療から、体系的に観察・収集されたデータに基づく医療への転換を意味する。(2)基礎医学的知識や病態生理学的原理を臨床に応用すればよいという考えから、患者から得られたデータを最重視する姿勢への転換―現在の生物学的知識の不完全さを認識すること-を意味する。(3)客観的なデータに基づかない、エキスパートの個人的経験や直感に依存した意見よりも、第三者によって客観的に評価されたデータを重要することの正当性を認めること意味する。(4)新しい検査・治療法の有用性を評価するには、従来のように知識と技量を重視する徒弟的臨床研修では不十分で、文献収集のためのコンピューターの知識・使用法の習得、それに論文の妥当性・信頼性を評価するための臨床疫学、生物統計学的知識が必要なことを認めることになる。
今までの医療界を支配してきた「エキスパートを任じている医師の理論に基づく(治るはずであるという)医療」から、「治ることが証明されている治療を的確に患者に供する医療」へと考え方をシフトさせなければならない。著者は、「医療開示」、「告知と同意」など今の医療を取り巻く社会状況に医療に携わる者すべてが誠実に対応するためには、医療界を支配してきた従来の思考方法の変革が必須であると述べている。
病める人を治すことは医師の使命であり、現在、最善といわれる「EBM」は当然と受け入れなければならないが、「医師の理論性」が完全に否定されないまでも重きを置かれなくなってきているばかりか、「医師の裁量権」も狭まれてきていることは医師にとっては寂しいことである。しかし、従来の医療を、医師、自らが是正し新たな概念の医療を行うようになったのであるから、若干、救われた気持ちでいるのである。
「生物学的知識の不完全さ」を「従来の医療」は医師個人の理論・経験で補い、「EBM」は第三者によって統計学的に良いと評価された治療結果で補うのであるから、「不完全さ」を「何か」で補うという点では同じである。しかし、「有効であるという確かな証拠」で「不完全さ」を補う「EBM」が、患者にとって利益になることは容易に理解できる。
「エビデンスに基づく医療」を、「本に載っている美味しそうな料理を選んで提供する」という意味で"cookbook(料理の本)医療"という人もいるが、治療を受ける患者の立場からは、「最適な医療」を科学的な手段で選択、提供されるのであるから評価されよう。料理は美味しければ良いのである。患者は治れば良いのである。
しかし、「生物学的知識の不完全さ」を「有効であるという確かな証拠」で補っても、"cookbook医療"と揶揄されるように、「出来の良い治療」であっても「出来あいの治療」を「患者」に提供することにかわりはない。出された料理と違って、患者は、治療のどれかを選ばなくてはならないのであるから、結局、「出来あいの治療」を押し付けられることになる。「これが一番良い治療と認められているのです。科学的に証明されています。現在、これしかないのです」と。
医療は患者中心に行うべきであることは承知しているが、患者に「出来あいの治療」を見繕って提供する医療は、医師に知的満足を与えてくれない。かつて、このコラム(Vol.1)で、今日、「高い医療の質」の定義が「開発型の医療」から「ごく普通の医療を普通に行うこと」に変わったことを記したが、「普通の医療」とは、「EBM」のことを指しているのである。
「EBM」は、「生物学的知識の不完全さ」を補う最も良い方法として生まれた医療であるが、一流ブランドのレディーメイドかハーフ・レディーメイドの服を見繕って着せるのと同じであると思っている。結局、「生物学的知識の不完全さ」が解決されない限り、究極的な患者本位の医療は望めないのである。
「ヒト遺伝子情報」が解読された今、より根源的な「生物学的知識」が豊富になり病態生理が理解されるにつれ、「新たな医療」が生まれ流行するであろう。テイラーメイド(オーダーメイド)医療もその一つである。僅かではあるが胎動の兆しが感じられる。
さあ、勉強しよう。流行に遅れないために。



コメント