再び「心」を思う
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「残しておきたい7人のコラム」から、村松静子さんの「起業家ナースのつぶやき」を紹介しています。今回は『再び「心」を思う その1』です。

vol.37
再び「心」を思う その1
2005-2-25
不安と葛藤に疲労が加担する中で、最愛の母の死を看とった娘が抱きついて来て言った。「辛かったけど、看とれました」。肩の力が抜けて、素直に顔を出した彼女の本心。耳元で囁くその言葉に胸が熱くなり、私は思わず強く抱きしめ返した。
「死と向き合う」と一言で言うが、愛する人が逝く姿を目の当たりにしながら、最期まで看とるには大変な勇気が要る。増してや、それを実現するなど、並大抵のことでは出来ない。そこでは、愛し合う二人が強引に引き離されようとしているのだ。最期のその時を目の当たりにすると、死の淵から引きとめたいという気持ちと、目の当たりにしているこの状況から逃げ出したいという気持ちが交錯する。さまざまな不満が淀み、張り詰めた、やりようのない心を生み出す。それが、心の葛藤となって現われる。
母の死に直面し、すでに傷を負っているその心は、果たして最後までそこに踏みとどまることができるのか、それとも逃げ出すのか。
愛する母への素直な思いを抱いた彼女の心は、逃げなかった。死に逝く母と向き合っているように、弱かったそれまでの自分とも向き合い、しっかりとそこで踏みとどまった。今起こっていることを疑うのではなく、真正面から受け止め、素直になって母の心に近づいたからこそ、彼女は踏みとどまることができた。
母は、どんな状況に置かれても、やっぱり母なのである。この危機的状況の中で、最愛の娘に、「強くなる」という最大のプレゼントを与え、その余韻を残して逝った。プレゼントの柔らかい紐は、やがて彼女の心の中でほどかれ、開かれた箱の中に眠っていた小さな芽が吹き、静かな成長を始めるはずである。それは誰の目にも見えない。しかし、強く、優しく、温かく、夢を抱かせる不思議な力を潜めている。
自分の心が不安にさらされることは嫌なことである。苦しいことである。しかし、私たち人間にとって、この不安感というものは、時には必要で、大切なものなのだと、私は思う。自分の欲求を妨げられることが漠然と予想されるときに経験するといわれる不安、起こるかもしれない恐怖や危険に対する取りとめのない情緒、それがなくなるということは、人間らしさを失うことにもつながる。真っ向から向き合うのか、それとも背を向けるのか、自分はどちらを選ぶべきか。心理的に身動きのとれない状態に置かれて迷い悩む、つまり、葛藤にも同じことがいえる。
自由が叫ばれる今の時代、若者の間で不可思議な現象が起こっている。どのようなことが起こっているのか、それらはなぜ起こっているのか、団塊の世代の私は心を痛めている。人間の心に潜む「不安と葛藤」の角度から、それらの現象が起こる理由について真剣に考えている。



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